校通いを始めていて呉れているだろうか――。良人は一たん私を静かに胸から離して云いました。
「二人ともこれで実はそうとう深傷《ふかで》を負ってるのだなあ」
私は生れて以来こんな悲壮な男らしい声を聞いたことがありません。逞ましい雄獅子が自分と妻の致命的な傷口を嘗《な》め労《いた》わりつつ呻《うめ》く、絶体絶命の呻きです。私の身体はぶるぶると慄えました。ここまで苦しんだなら、いくら厚い仕切りでも消える筈だ。私の心はくるりと全体の向きを変えました。二人をこの上とも苦しめようとするのは何者だろう。
それは想い出だ。青春への未練だ。私はこの男にそれから逃れさすために、自分も潔《いさぎよ》くそれを捨てよう。私は女と生れた甲斐には気丈になって、この男を更生さしてやらなければならない。私は今度は進んで自分から良人の胸へ額を持って行きました。
「私も大人になりますから、あなたも過去のことは打切ってね。それからもう明日にも東京へ帰ることにして、すこしうちの事務の相談でもしましょうよ」
結婚式は挙げても、二人の心境がほんとうに茲《ここ》まで進まなければ、事実上の良人と妻になってはならない――こう良人は潔
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