四天になって踊るのだが外人の踊りを見慣れた眼には娘の手足がまるで唐草模様のように巻いたりくねって動くのが人間より抜けていた。顔と身体は人形で手足だけ人間以上の生命を盛っている。そういえば巴里《パリ》の踊り場でみる日本のタンゴというものが腰に異様なねばりと業《わざ》があってみんな女と柔道をやっているもののように眺められた。三度目に加奈子が振返ったときに男の子は定めた方向へ行くのをやめて加奈子の方へついて来た。加奈子は男の子の飛出した荒物屋を眺めた。
 日々に壊滅して行く伯林《ベルリン》の小産階級。あすこでこういう程度の荒物屋は荒物商いだけでは勿論足りないので大概素人洗濯を内職にしていた。親一人、子一人。娘が一人あるにはあるが他所《よそ》へ間借りをして職業婦人になっている。かたわら富裕な外国人を友達に持ちたがっている。持つかと思うと不器量で逃げられる。母親の手一つでやる素人洗濯だが西洋の肌着のことゆえ蝋引《ろうびき》だけは専門家同様しなくてはならない。それで狭い土間に一ぱいの火のし機械を据えている。暇があればそれに取りついていて彼女自身もすっかり乾燥してしまっている。欧洲大戦で毒|瓦斯《ガス》を吸い込んで肺を悪るくしてじりじり死んで行った夫の話は人事のようにペラペラ喋《しゃベ》るが眼の前にしきりなしにおちて来るいつもの緊急令には恨めしい眼をして黙ってしまう。これでも営業している手前どうせ税の増えることばかりだ。そして息子はナチス。やっと月謝を工面《くめん》して体操学校へ通って中等教員の免状を取るつもりだがその免状を取ってからにしても殆んど就職の当てはない。道路工事や雪掻き仕事があればいつでも学校を休んでその方へ行く。けれども僅かながらも資本をおろし、商ないをしている家に育った息子だけに純粋の労働者にはなり切れない。そこでナチス。横町の酒店の支部にしょっちゅう集まって支部旗の上げ下ろしの手伝いもやる。スケート館に大会のあるときは決死隊の一人になって演壇に背中を向けて入口を睨《にら》み立ち列《なら》んでいる。リンデンの街路樹が一日に落葉し暫らく広く見えている伯林の空にやがて雪雲が覆い冠《かぶ》さって来ると古風な酒店の入口にビールの新酒の看板が出る。夜町の鋪道は急に賑い出す。その名ごりの酔いどれの声が十二時過ぎになって断続して消えかかろうとする頃いつも加奈子の家の軒下を乱れた靴音で通り過ぎて行く一組がある。五六軒先の荒物屋の母子だ。息子が母親を担《かつ》いでいるときもある。母親が息子を担いでいるときもある。息子が母親に担がれているときは息子が酔いすぎてとてもはしゃいでいる。母親が息子に担がれて帰るときは母親が酔いすぎて大概泣いている。焙《た》き出したばかりの暖炉《オーフェン》の前で加奈子が土の底冷えをしみじみ床を通して感じた独逸《ドイツ》の思い出である。
 まだ子供とはいいながら日本人にあとをつけられるのは気味の悪いものだ。これに引きかえ西洋人のつけて来るのはあまい感じがする。西洋では不良男にもフェミニズムが染み込んでいるせいだろうか。加奈子はよく人につけられる性質の女だ。
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――それはあなたの全《すべ》てが普通の人のリズムと違っていて人に目立つからだ」或る友達は笑いながら加奈子に斯《こ》ういった。
――嫌になっちゃう」と加奈子が手足をじたばたさせると友達はそれを指して、
――それそこがもう人並外れのところよ」といった。
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 いろいろの経験からついて来る人間に手がかりを与えないのは却ってそれに気を奪われない事だということを加奈子は心得ているので何気なく振舞う為めに続いて町並を点検して行く。
 塀にも屋根の上にも一ぱいに専門の皮膚、泌尿科を麗々しく広告している医学博士。負けずに立看板や色垂簾で店を武装している雑誌店。これに気付かされて注意すると日本の町は随分広告の多い町だ。倒した古材木の頭にむしろを冠せたのが覗いている露地口には筍《たけのこ》のように標柱が頭を競っている。小児科の医者、特許弁理士、もう一つ内科呼吸器科の医者、派出婦会、姓名判断の占師、遠慮深くうしろの方から細い首を出して長唄の師匠の標柱が藍色の杵《きね》の紋をつけている。「古土タダアゲマス」屋根に書いて破目《はめ》に打付けてあるその露地へ入って行った女は白足袋《しろたび》の鼠色になった裏がすっかり見えるように吾妻下駄《あずまげた》の上でひっくらかえす歩き方を繰り返して行く。
 お京さんがフランス人の夫アンリーから最後に逃げて隠れていたのは丁度こういう露地の中の家だった。二人で町で買物をしてご飯も食べたあと暗くなってお京さんを隠れ家へ送り届けようと、その露地口へ入るときお京さんは痙攣《けいれん》している右の手で胸に十字を切った。なぜと訊くと、
――あの俵《たわら》の冠せてある水溜りをうまく越しますように」といった。そしてもしそれにうっかり踏込みでもするとぷりぷり憤ってまた露地口まで戻って来て、そこで足数を考え合せ露地入りをやり直すのだった。また踏み込む。するといくどでも遣《や》り遂《と》げるまでは強情に繰り返すのだった。しまいには瞳が据《すわ》って鼻の孔《あな》を大きく開けて荒い息をしている顔が軒燈で物凄かった。しかし懐中電燈を買おうと言っても承知しなかった。もうあのとき気が変になっていたのだ。けれども若《も》し首尾よく水溜りを越したとなるとお京さんはふだんの生絹のような女になって後からついて行く加奈子の手を執って無事に跨《また》ぎ越さすのだった。そのとき綺麗な声で、
――アッタンシオンよ」と言った。それから、
――注意よ」という言葉も使った。
 お京さんはフランス人の夫を随分愛していた。それ以上にフランス人の夫もお京さんを愛していた。だのになぜお京さんは夫から逃げたのだろう。逃げて気狂いになったのだろう。お京さんは加奈子に水溜りを越さしたあとも加奈子の手を離さず門口まで握って言った。
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――あなたの手を握っていると、ほんとにこころにぴったり来るのよ。あなたの手は皮膚の手袋さえ穿《は》めてないからね。
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 左側に板塀がある。雨風に洗い出された木目が蓮華を重ねたように並んでいる。誰か退職官吏の邸らしい。この辺がまだ畑地交りであった時分|廉《やす》い地代ですこし広く買い取って家を建てたのがいつか町中になってしまってうるさくはあるが地価は騰《あが》った。当惑と恭悦を一緒にしたような住居の様子だ。古い母屋《おもや》の角に不承々々に建て増したらしい洋館の棟が見える。一人前になった息子のところへそろそろ客が来るようになったので体裁上必要になったものらしい。ポータブルがロンドンシーメンス会社で参観人へ広告に呉れる小唄を軋《きし》り出している。「明るい燭光の電球をつけましょう。そして、顔を――」どうしてこんな盤が日本へ入って来ているのだろう。此処《ここ》の息子はあの電気会社の取引会社へ勤めでもしているのか。
 松が古葉を黄色い茱萸《ぐみ》の花の上へ落している。門の入口に請願巡査の小屋があってそれから道の両側に欅《けやき》の並木があり、その先は折れ曲っているので玄関はどのくらい先にあるか判らない金持の邸の並木の欅五六本目のところでカーキ色の古ズボンを穿いた老人が乾した椎茸《しいたけ》を裏返している。こんな町中で椎茸が栽培出来るのか。
 金持の邸の玄関道が妙に曲っているのでそのカーヴの線と表通りの直線とに挟まれて三日月形になった空地がある。信託会社の分譲地の柱が立っている。ふさがっているのは表通りの右端の二区切りだけで、あとは古障子やら藁《わら》やら一ぱい散らかったまま空いている。それ等を踏んで子供が野球をやっている。空地を覘《うかが》うのは何国の子供も同じだ。ある夏ロンドンで珍らしい暑い日があった。兜帽《かぶとぼう》を冠った消防夫に列んで子供が頭から水管の水をかけて貰っていたのはやっぱり斯ういう建壊しのあとの空地だった。犬のお産を子供等に見せないように天幕張りをしてしまって居たのもロンドンの空地だった。
 仲が好さそうにもあり、張り合ってるようにも見える二区切りの土地の上の洋館のけばけばしい安普請の一方には歯科医、一方にはダンス練習所の真鍮札がかかっている。お京さんはよく迷う女だ、斯ういう軒並を見せたら歯を癒《なお》して貰いに歯医者へ寄ってから練習所へ行こうかダンスの練習をすましてから歯医者にしようか。まじめになってわたしに相談するだろうと加奈子は思った。
 また塀だ。今度のは灰色のセメントで築いてあり上に横に鼠色の筋を取ったものだ。灰色の面には雲のように白い斑《まだら》が出来ていて乾性の皮膚病のようにいかにも痒《かゆ》そうだ。人の影がぞろぞろつながって映って行く。加奈子にぶつかる男もある。気がつくと坂の下の交叉点で電車を降りて乗替えずにそのまま歩いて坂を上って来る人が沢山増した。午後四時過ぎ、東京という人口過多の都会の心臓はその血を休養の為めに四肢へ分散するのか。でなければこの都会の内臓は充血して化膿するだろう。
 人の流れに逆らって歩るくちょっとした非興奮音楽的の行進曲。擦れ違うさまざまなヴォルトの人体電気。埃と髪油のにおい。――加奈子は午後四時過ぎが何故か懐かしい。巴里では凱旋門の方からシャンゼリゼーの右側の歩道を通って料理店ブーケの前を通って公園の方へ行こうとすると屹度《きっと》こういう思いをした。ハンチングをかぶったアパッシュ風の男がズボンのポケットで歩るきながら銭をじゃらじゃらいわせる音。急に斜に外れて巴里昼間新聞を買う人の起すかすかな空気のうずまき。首尾よく流れを逆に上り切って桃色と白のカフェ・ローポアンで一休み。そこで喰べた胡桃《くるみ》の飴菓子。
 だが日本の通行人は急ぐように見えてもテンポは遅い。それでいて激しい感じは一層する。二つずつ向って来る黒い瞳。奥底の知れぬ怜悧《れいり》。カラーとネクタイが無くて襟の合せ目からシャツと胸の肉の覗く和服姿。男が女のように見えるインバネス。無言の二人連れ。アメリカ風の女の洋装。
 加奈子のあとをつけて来た少年は流れの勢に押し流されもう見えなくなった。その代りにもっと小さい十三四の中学生が気付かれないように手に握ったボールを見つめているふりをしながら溝端の石の上を加奈子と並んで歩いて来る。ちょいちょい加奈子を横目でみるところはやっぱり加奈子をつけて来るのだ。
 加奈子はショールの間から短い指の手を出して拡げて裏表を見せてやる。すると顔を赭くして急に駆け出した。
 お京さんが夫のアンリーのところを逃げ出す前にお京さんは加奈子にこういったことがあった。
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――異人さんと一緒にいると始終用心してなきゃならないのよ。いつ唇が飛びかかって来るか知れないから。
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 異人さんと一緒にいると我儘《わがまま》をいうのも時間制度よ。
 アンリーはあたしを燃やし尽そうとする。菜種油で自動車を動かそうとする。
 触って呉れずに愛して呉れたらねえ。
 まわりの静まった夜なんか二人差し向いで居てふいと気がつくと、おや大変異人さんと一緒にいる。と逃げ出したくなることがあるのよ。
 あなた異人さんのしょげたところ見た? まるで子供よ。
 異人さんの不器用な大股で日本の家の鴨居《かもい》に頭をぶつけないように歩るく不器用さは初めはほんとに愛嬌があるけれど見慣れて嫌になり出すととても堪らないものよ。
 異人さんはやきもちやきよ。
 あの人、海苔《のり》を食べるのを稽古し出したのよ。
 異人さんの愛情というものはくどいからすぐ腹が一ぱいになるけれども永持ちしないの。だからしょっちゅうちょいちょい食べなきゃならない。
 この頃はお豆腐を食べても舌で味い分けられなくなったわ。始終|脂《あぶら》っこいもののお相伴《しょうばん》をするせいよ。
 それでいてお豆腐の味
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