ス》を吸い込んで肺を悪るくしてじりじり死んで行った夫の話は人事のようにペラペラ喋《しゃベ》るが眼の前にしきりなしにおちて来るいつもの緊急令には恨めしい眼をして黙ってしまう。これでも営業している手前どうせ税の増えることばかりだ。そして息子はナチス。やっと月謝を工面《くめん》して体操学校へ通って中等教員の免状を取るつもりだがその免状を取ってからにしても殆んど就職の当てはない。道路工事や雪掻き仕事があればいつでも学校を休んでその方へ行く。けれども僅かながらも資本をおろし、商ないをしている家に育った息子だけに純粋の労働者にはなり切れない。そこでナチス。横町の酒店の支部にしょっちゅう集まって支部旗の上げ下ろしの手伝いもやる。スケート館に大会のあるときは決死隊の一人になって演壇に背中を向けて入口を睨《にら》み立ち列《なら》んでいる。リンデンの街路樹が一日に落葉し暫らく広く見えている伯林の空にやがて雪雲が覆い冠《かぶ》さって来ると古風な酒店の入口にビールの新酒の看板が出る。夜町の鋪道は急に賑い出す。その名ごりの酔いどれの声が十二時過ぎになって断続して消えかかろうとする頃いつも加奈子の家の軒下を乱れた
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