沈んで行く。「すと」「すと」花にたまった雨の澪《しずく》の砂に滴《したた》る音を聴いていると夢まぼろしのように大きな美しい五感|交融《こうゆう》の世界がクッションのように浮《うか》んで来て身辺《しんぺん》をとり囲む。私の心はそこに沈み込んでしばらくうとうととする。
こういう一種の恍惚感《こうこつかん》に浸《ひた》って私はまた、茶店《ちゃみせ》の美少年の前を手を振って通り、家の中二階へ戻る。私は自分が人と変《かわ》っているのにときどきは死に度《た》くなった。しかし、こういう身の中の持ちものを、せめて文章ででも仕末《しまつ》しないうちは死に切れないと思った。机の前で、よよと楽しく泣き濡《ぬ》れた。
後年、伊太利《イタリア》フローレンスで「花のサンタマリア寺」を見た。あらゆる色彩の大理石を蒐《あつ》めて建てたこの寺院は、陽に当《あた》ると鉱物でありながら花の肌になる。寺でありながら花である。死にして生、そこに芳烈《ほうれつ》な匂《にお》いさえも感ぜられる。私は、心理の共感性作用を基調にするこの歴史上の芸術の証明により、自分の特異性に普遍性を見出《みいだ》して、ほぼ生きるに堪《た》えると
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