》をかけた竈《かまど》の火で暖かく、窓の色硝子の光線をうけて鉢の金魚は鱗を七彩に閃めかしながら泳いでいる。外を覗いてみると比良も比叡も遠く雪雲を冠っている。
「この次は大津、次は京都で、作楽井に言わせると、もう東海道でも上りの憧憬の力が弱まっている宿々だ」
主人は餅を食べながら笑って言った。私は
「作楽井さんは、この頃でも何処かを歩いてらっしゃるでしょうか、こういう寒空にも」
と言って、漂浪者の身の上を想ってみた。
それから二十年余り経つ。私は主人と一緒に名古屋へ行った。主人はそこに出来た博物館の頼まれ仕事で、私はまた、そこの学校へ赴任している主人の弟子の若い教師の新家庭を見舞うために。
その後の私たちの経過を述べると極めて平凡なものであった。主人は大学を出ると美術工芸学校やその他二三の勤め先が出来た上、類の少ない学問筋なので何やかや世間から相談をかけられることも多く、忙しいまま、東海道行きは、間もなく中絶してしまった。ただときどき小夜の中山を越して日坂の蕨餅《わらびもち》を食ってみたいとか、御油、赤阪の間の松並木の街道を歩いてみたいとか、譫言《うわごと》のように言っていたが
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