関の地蔵尊に詣でて、私たちは峠にかかった。
 満目|粛殺《しゅくさつ》の気に充ちて旅のうら寂しさが骨身に徹る。
「あれが野猿の声だ」
 主人はにこにこして私に耳を傾けさした。私はまたしてもこういうところへ来ると生々して来る主人を見て浦山《うらやま》しくなった。
「ありたけの魂をすっかり投げ出して、どうでもして下さいと言いたくなるような寂しさですね」
「この底に、ある力強いものがあるんだが、まあ君は女だからね」
 小唄に残っている間《あい》の土山《つちやま》へひょっこり出る。屋根附の中風薬の金看板なぞ見える小さな町だが、今までの寒山枯木に対して、血の通う人間に逢う歓びは覚える。
 風が鳴っている三上山の麓《ふもと》を車行して、水無口から石部の宿を通る。なるほど此処《ここ》の酒店で、作楽井が言ったように杉の葉を玉に丸めてその下に旗を下げた看板を軒先に出している家がある。主人は仰いで「はあ、これが酒店のしるし[#「しるし」に傍点]だな」と言った。
 琵琶湖の水が高い河になって流れる下を隧道に掘って通っている道を過ぎて私たちは草津のうばが餅屋に駆け込んだ。硝子《ガラス》戸の中は茶釜《ちゃがま
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