多少の不安と同時に、これより落着きようもない静な気分に魅せられて、傍で茹《ゆ》で卵など剥《む》いていた。
「この間、島田で、大井川の川越しに使った蓮台を持ってる家を見付けた。あんたに逢ったら教えて上げようと思って――」
 それから、酒店のしるしとして古風に杉の玉を軒に吊っている家が、まだ一軒石部の宿に残っていることやら、お伊勢参りの風俗や道中唄なら関の宿の古老に頼めば知っていて教えて呉れることだの、主人の研究の資料になりそうなことを助言していたが、私の退屈にも気を配ったと見え
「奥さん、この東海道というところは一度や二度来てみるのは珍らしくて目保養にもなっていいですが、うっかり嵌《はま》り込んだら抜けられませんぜ。気をつけなさいまし」
 嵌り込んだら最後、まるで飴《あめ》にかかった蟻のようになるのであると言った。
「そう言っちゃ悪いが、御主人なぞもだいぶ足を粘り取られてる方だが」
 酒は好きだがそう強くはない性質らしく、男は赭《あか》い顔に何となく感情を流露《りゅうろ》さす声になった。
「この東海道というものは山や川や海がうまく配置され、それに宿々がいい工合《ぐあい》な距離に在って、景
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