むしば》んだ黝《うずくろ》さはあってもまだまだ秀麗だった麻川氏が、今は額が細長く丸く禿《は》げ上り、老婆のように皺《しわ》んだ頬《ほお》を硬《こわ》ばらせた、奇貌《きぼう》を浮かして、それでも服装だけは昔のままの身だしなみで、竹骨の張った凧紙《たこがみ》のようにしゃんと上衣を肩に張りつけた様子は、車内の人々の注目をさえひいて居る。葉子は、麻川氏の病弱を絶えず噂《うわさ》には聞いて居たが、斯《こ》うまで氏をさいなみ果した病魔の所業に今更ふかく驚ろかされた。病気はやはり支那旅行以来のものが執拗《しつよう》に氏から離れないものらしい。だが、つくづく見れば、今の異形の氏の奥から、歴然と昔の麻川氏の俤《おもかげ》は見えて来る。葉子は、その俤を鎌倉で別れて以来、日がたつにつれどれ程懐しんで居たか知れない。葉子の鎌倉日記に書いた氏との葛藤《かっとう》、氏の病的や異常が却《かえ》って葉子に氏をなつかしく思わせるのは何と皮肉であろう。だが、人が或る勝景を旅する、その当時は難路のけわしさに旅愁ばかりが身にこたえるが、日を経ればその旅愁は却ってその勝景への追憶を深からしめる陰影となる。これが或る一時期に麻川
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