居たが、これもまた甚だ平凡な泳ぎ方だ。それでもかなり達者に一丁程麻川氏と並んで岸を離れて行った。私は二人の遠ざかったのを見て主人の傍へ行った。「半月程まえ茲の海で心臓麻痺《しんぞうまひ》を起して死んだ人があるんですって。」私がこういう真意を主人は知って居た。若いうちの深酒で主人は心臓を弱くして居る。水泳は、ずっと前から自分でも禁じて居る。今日にかぎって泳ぐわけも無いのだが赫子も麻川氏も先刻からむしろ主人を先頭に泳がせ度い気配《けは》いが見える。それにもかかわらず、主人は岸近くで私と一緒にわずかに波乗り位して居るだけだった。「おーうい」と赫子はかなりの高波の間から手招ぎをした。少し離れた処で麻川氏も「泳ぎませんか坂本さん。」赫子「駄目、泳がなくっては、坂本さん。」赫子は当然自分達に続いて泳いで来るべき筈《はず》の坂本が岸に居るのが不本意だとでもいうような様子である。「僕あ駄目。」と主人が手を振ると「駄目ってこと無いわよ。」と赫子。「泳ぎましょう、行きましょうよ、沖へ。」と麻川氏。「いらっしゃい。」「いらっしゃいったら。」といよいよ異常な熱心で主人を誘致しようとする二人。それでも主人は笑っ
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