借りることに極《き》めた。どの棟の部屋もみな一側面は同じ芝生の広庭に面し、一側面は凡《すべ》て廊下で連絡していた。
 決めて帰りがけに葉子達は神楽堂の方の借主をどんな人達かと聞いて見た。五六人取り交ぜたブルジョアの坊ちゃんで、若いサラリーマンや大学生達だとの事、それから藤棚の方はと聞いた時、
「麻川荘之介さん、あの文士の。」
 H屋の若主人は(好いお連れ様で)と云わんばかりにやや同業者の葉子達の方を見た。
「ほう。」
 葉子の良人は無心のように云ったが、葉子はいくらか胸にこたえ[#「こたえ」に傍点]てはっとした。
 麻川荘之介と云えば、その頃、葉子より年こそ二つ三つ上でしか無かったが、葉子にはかなり眩《まぶ》しい様な小説道の大家であった。葉子のはっとしたのは、葉子の稚純な小説崇拝性が、その時すでに麻川氏に直面したような即感をうけた為めでもあったろうが、ほかにいくらか内在している根拠もあった。
 葉子の良人戯画家坂本は、元来、政治家や一般社会性の戯画ばかり描いて居たが、その前年文学世界という純文芸雑誌から頼まれて、文壇戯画を描き始めて居た。文壇の事に晦《くら》い坂本はその雑誌記者で新進作
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