。「だが、今度の、マルクス文学|擡頭《たいとう》の気勢は前例のものより、かなり風勢が強いらしいですよ。」氏がだんだんいらだって来るので何とか云わなければならない気配に私は迫られた。「あのね。ダンテは天国篇より地獄篇を好く書いてますね。」私は何という突然なことを云い出したのか、自分でも呆《あき》れたが、麻川氏は意外にも素直に返事をした。「そうですな。由来、人類は極楽を理想とし乍《なが》ら実際に於てむしろ地獄に懐き親しんで居る。ダンテといえども……。」氏は斯《こ》う云い乍ら床の間の奥から今まで私の眼に見えない処へ転がしてあったメロンを取出して来て、器用に皿へ載せナイフで割った。そして歯を出して笑い乍ら、「われわれなんざ、宜《よろ》しく新時代に斯の如くぶち割らるべきです。ははは……。だが、」とまた云って氏はメロンのなかからはみ出して来た種をナイフの尖《さき》でつっ突き乍ら「だがねえ、われわれのなかにだってこんな種がうじゃうじゃしてますよ。こいつがまた、地の底へもぐって、いつの時代にか、もくもくと芽を出すでしょうから、厄介なもんでさあ。」
 白い犬が、何処からか帰って来た。またのっそりと私の眼
前へ 次へ
全59ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング