鶴は病みき
岡本かの子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)想《おも》い出して

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一番|端《はず》れ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)こたえ[#「こたえ」に傍点]
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 白梅の咲く頃となると、葉子はどうも麻川荘之介氏を想《おも》い出していけない。いけないというのは嫌という意味ではない。むしろ懐しまれるものを当面に見られなくなった愛惜のこころが催されてこまるという意味である。わが国大正期の文壇に輝いた文学者麻川荘之介氏が自殺してからもはや八ヶ年は過ぎた。
 白梅と麻川荘之介氏が、何故葉子の心のなかで相関聯《あいかんれん》しているのか、麻川氏と葉子の最後の邂逅《かいこう》が、葉子が熱海へ梅を観《み》に行った途上であった為めか、あるいは、麻川氏の秀麗な痩躯《そうく》長身を白梅が聯想《れんそう》させるのか、または麻川氏の心性の或る部分が清澄で白梅に似ているとでもいうためか――だが、葉子が麻川氏を想い出すいとぐちは白梅の頃であり乍《なが》ら結局葉子がふかく麻川氏を想うとき場所は鎌倉で季節は夏の最中となる。葉子達一家は、麻川荘之介氏の自殺する五年前のひと夏、鎌倉雪の下のホテルH屋に麻川氏と同宿して避暑して居た。
 大正十二年七月中旬の或日、好晴の炎天下に鎌倉雪の下、長谷《はせ》、扇《おうぎ》ヶ谷《やつ》辺を葉子は良人《おっと》と良人の友と一緒に朝から歩き廻《まわ》って居た。七月下旬から八月へかけて一家が避暑する貸家を探す為めであった。光る鉄道線路を越えたり、群る向日葵《ひまわり》を処々の別荘の庭先に眺めたり、小松林や海岸の一端に出逢《であ》ったりして尋ね廻ったが、思い通りの家が見つからなかった。結局葉子の良人の友人は葉子達をH屋の一棟へ案内した。H屋は京都を本店にし、東京を支店にし、そのまた支店で別荘のような料亭を鎌倉に建てたのであったが商売不振の為め今年は母屋を交ぜた三棟四棟を避暑客の貸間に当て、京都風の手軽料理で、若主人夫婦がその賄に当ろうと云うのであった。
 母屋に近い藤棚のついた二間打ち抜きの部屋と一番|端《はず》れの神楽堂《かぐらどう》のような建て前の棟はもう借手がついていた。真中の極《ごく》普通な割り合いに上品な一棟が、まだあいていたのを葉子達は
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