借りることに極《き》めた。どの棟の部屋もみな一側面は同じ芝生の広庭に面し、一側面は凡《すべ》て廊下で連絡していた。
決めて帰りがけに葉子達は神楽堂の方の借主をどんな人達かと聞いて見た。五六人取り交ぜたブルジョアの坊ちゃんで、若いサラリーマンや大学生達だとの事、それから藤棚の方はと聞いた時、
「麻川荘之介さん、あの文士の。」
H屋の若主人は(好いお連れ様で)と云わんばかりにやや同業者の葉子達の方を見た。
「ほう。」
葉子の良人は無心のように云ったが、葉子はいくらか胸にこたえ[#「こたえ」に傍点]てはっとした。
麻川荘之介と云えば、その頃、葉子より年こそ二つ三つ上でしか無かったが、葉子にはかなり眩《まぶ》しい様な小説道の大家であった。葉子のはっとしたのは、葉子の稚純な小説崇拝性が、その時すでに麻川氏に直面したような即感をうけた為めでもあったろうが、ほかにいくらか内在している根拠もあった。
葉子の良人戯画家坂本は、元来、政治家や一般社会性の戯画ばかり描いて居たが、その前年文学世界という純文芸雑誌から頼まれて、文壇戯画を描き始めて居た。文壇の事に晦《くら》い坂本はその雑誌記者で新進作家川田氏に材料を貰い、それを坂本一流の瓢逸《ひょういつ》また鋭犀《えいさい》に戯画化して一年近くも連載した。これは文壇の現象としてはかなり唐突だったので、文人諸家は驚異に近く瞠目《どうもく》したし、読者側ではどよめき[#「どよめき」に傍点]立って好奇心を動かし続けた。なかで麻川氏の戯画化に使われた材料は麻川氏近来の秘事に近いもの――それももちろん川田氏から提供された材料だった。文壇に晦かった坂本が、さして秘事とも思わず取扱った材料は、麻川氏にとっての痛事だったとあとで坂本に云う人がかなりあった。
「そりゃあ気の毒だったな。川田君も一寸《ちょっと》つむじ曲りだから先輩に対する自分のうっぷん散しでもあったかな、いくらか。」
とその材料を持って来た川田氏への心理批判も交って坂本は苦笑した。
その後短歌から転じて小説をつくり始めた葉子がその処女作を麻川氏の友人喜久井氏に始めて見て貰うことを頼んだ。だが喜久井氏はその時、文壇的な或る事業|劃策中《かくさくちゅう》だったので、友人麻川荘之介に見てお貰いなさいと葉子に勧めた。
葉子は早速麻川氏に手紙を書いたが、その返事がいつまでたっても来なかっ
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