の毛程の迷いも無い。人間がその様に生きられるならば哲学とか思想とかいうものも敢《あえ》て必要としないだろう。時々思い出して切なくなる荘子にそう思わせる麗姫はもと秦の辺防を司《つかさど》る将軍の一人娘であった。戦国の世によくある慣いで父将軍はちょっとした落度をたてに政敵から讒言《ざんげん》を構えられ秦王の誅《ちゅう》を受けた。母と残された麗姫はこのときまだこどもであった。天の成せる麗質は蕾《つぼみ》のままで外へ匂い透り行末《ゆくすえ》希代の名花に咲き誇るだろうと人々に予感を与えている噂を秦王に聞かせるものがあった。で、間もなく母にも死に訣れた麗姫は引取られ后宮《こうきゅう》に入れて育てられた。いずれ王の第二の夫人にも取立てられる有力な寵姫になるだろうと思われているうち、この王が歿し麗姫は重臣達の謀《はか》らいで遠くの洛邑の都に遊び女として遣られた。当時洛邑の遊び女には妲妃《だっき》、褒※[#「女+以」、第3水準1−15−79]《ほうじ》、西王母、というようなむかし有名な嬌婦や伝説中の仙女の名前を名乗っている評判のものもあった。客には士太夫始め百乗千乗の王侯さえ迎え堂々たる邸館に住み数十人
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