らな灯の点在だけになり、大梁と思われる地平線の一抹の黒みの中には砂金のような灯が混っている。

 荘子は心に二つの石を投げられて家に帰って来た。蘇秦も張儀も共に修学時代彼と一緒に洛邑に放浪していた仲間であった。二人の仲のよいことは仲間でも評判だった。それがいま、いかに戦国の慣《なら》いとは云え敵と味方に分れて謀《はかりごと》の裏をかき合って居るのだとは……蘇秦の豪傑肌な赫《あか》ら顔と張儀の神経質な青白い顔とが並び合って落日を浴び乍《なが》ら洛邑の厚い城壁に影をうつして遊山《ゆさん》から帰って来た昔の姿がいまでも荘子の眼に残って居る。今、廟堂で天下を争って居る二人は全く違った二人に思えた。このことはすでに荘子を虫食《むしば》んで来た現実回避の傾向に一層深く思い沁みた。いやな世の中だ。ただただいやな世の中だ、と思えた。
 しかし麗姫の事に係《かかわ》って来ると、荘子のこころは自然と緊張して来る。彼は隠遁生活の前、洛邑に棲んで居た頃度々(時には妻の田氏とも一緒に)宴席やその他の場所で彼女に会ったことがある。生一本で我儘でいつも明鏡を張りつめたような気持ちで力一ぱい精一ぱいに生活して行って塵
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