こころの中一応これを繰返して考えて見たが、いかに自分に敬愛を捧げて居ればとて、眼の前の商人支離遜にそうこまかく話す張り合いもなかった。そこで
「道は却って道無きを道とす、かも知れないよ。つまり、仕官も学問も自分の本当の宝になるものじゃ無くて、詰《つま》らないからなあ」
 そして荘子は今度は隠退後|疎《うと》くなって居た世間の模様を支離遜から訊く方の番に廻った。
 支離遜の語るのを聴けば聴くほど世の中は変りつつあった。強|秦《しん》に対抗すべく聯盟した趙、燕、韓、魏、斉、楚、の合従《がっしょう》は破れはじめ、これに代って各国別々に秦に従属しようとする連衡《れんこう》の気運が盛《さかん》になって来た。従って人も変りつつあった。六国の相印を一人の身に帯び車駕の数は王者を凌《しの》ぐと称せられて居た合従の策士蘇秦は日に日に落魄の運命に陥り新《あらた》に秦の宰相であり連衡の謀主である張儀の勢力が目ざましく根を張って来た。洛邑の子供達までが、迎うべき時代の英雄として口々に張儀の名を呼んだ。
 佝僂の遜は屈《かが》んだ身体せい一ぱい動かして天下の形勢を説明した。年中諸国を縫《ぬ》って往来して居る彼は
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