ぎょしゃ》台の傍から一人の佝僂《せむし》が飛降りた。近付いて来ると
「荘先生ではありませんか、矢張り荘先生だった」
と云った。これは荘子のパトロンで諸国を往来して居る金持商人の支離遜だった。
支離遜は蜘蛛《くも》のように土坡へ匍い上り荘子と並んで腰を下すと言葉をほとばしらせた。
「今お宅へ伺いましたらこちらにお居でだと伺って直ぐ参りました。久し振りですな、先生なにからお話して宜《よ》いやら、それよりか先生、何故あなたはお勤めも学問の方もおよしになってこちらへ御隠退なさいましたか、お知らせも下さらないで」
荘子は久し振りで支離遜に逢って嬉しくもあったが直ぐそれを聞かれるのはすこしうるさかった。で、彼はごく手短かに引退の理由を話した。
この頃、孔子老子の二聖は歿して、約一世紀半ほどの距てはあるがいわゆる「学」と称《とな》えられるものは後嗣の学徒によって体系を整えて来はじめ、それと伍して幾つもの学派が並び起った。
孔子の倫理的理想主義を承《う》けて孟子は人間性善説を提掲した。これに対して荀子は人間性悪説を執《と》り法治論社の一派を形造った。墨子の流れを汲む世界的愛他主義が流行《はや
前へ
次へ
全28ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング