………あんたの我儘が見度くて来られたのです」
「え、わたくしの我儘が?」
「そうだ、あんたの天下第一の我儘がしきりに見度いと仰しゃって私に案内をさせなされた」
「まあ私の我儘を今更何で先生が………」
 そのとき麗姫の顔には愁《さび》しいとも恥かしいとも云い切れない複雑な表情が走った。支離遜は曾《かつ》て彼女にこんな表情の現れたのを見たことが無かった。だが、荘子はふかく腕をこまぬいて瞑目して居たためその表情を見のがした。

 また一ヶ月程たった。初涼のよく晴れた日である。あたたかい日向の沢山ある櫟社のあたりへ一輛の旅車が現れ、そして荘子の家の門前に止った。車のなかから現れたのは供の者に大きな土産包みを持たせた支離遜だった。低い土塀の際の葉の枯れた牡丹に並んで短い蘭の葉が生々と朝の露霜をうけた名残《なごり》の濡色を日蔭に二株三株見せていた。もう正午にも近かろう時刻だったが荘子の家のなかはしんと静まっていた。遜は自分のあとからつかつか門内に入って来た供の者を一寸手で制して、尚よく家の中のけはいをうかがって居ると、裏庭に通じる潜り扉が開いて荘子の妻の田氏が手帛で濡れ手を拭き乍ら出て来た。
「お
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