しはわたくしの有りのまま、性のままこの世のなかを送りましょう、と直ぐ思い直すとそれはそれはよい気もちになり恍惚として仕舞います――、と彼女はあでやかに笑うのであった。その申訳《もうしわけ》は嘘かまことかともかく麗姫のその状態を人々は「麗姫の神遊」と呼んで居る。そのとき薄皮の青白い皮膚にうす桃色の肉が水銀のようにとろりと重たく詰った麗姫のうつくしさはとりわけたっぷりとかさ[#「かさ」に傍点]を増すのであった。麗姫はまた、随分客に無理な難題を持ちかけた。荘子のパトロン支離遜は決して彼女に色恋の望みをかけてのパトロンではなかったが、それだけにまた彼女は余計甘え宜かった。ある時は西の都の有名な人形師に、自分そっくりな生人形を造らせて呉れとせがんだ。それからまた東海に棲む文※[#「魚+搖のつくり」、第4水準2−93−69]魚《ぶんようぎょ》を生きたままで持参して見せて呉れとねだった。その魚は常に西海に棲んで居て夜な夜な東海に通って来る魚だなぞと云われて居た珍らしい魚であった。この魚に就いて書かれてある山海経《せんがいきょう》中の一章を抽《ひ》いてみる=状如鯉魚、魚身而鳥翼、蒼文而首赤喙、常行西海
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