私塾を開いていた。伯母も身うちには薄倖《はっこう》の女で、良人《おっと》には早く死に訣《わか》れ、四人ほどの子供もだんだん欠けて行き、末の子の婚期に入ったほどの娘が一人残って、塾の雑事を賄《まかな》っていた。貧血性のおとなしい女で、伯母に叱《しか》られては使い廻《まわ》され、塾の生徒の娘たちからは姉さんと呼ばれながら少しばかにされている気味があった。何かいわれると、おどおどしているような娘だった。
伯母はむかし幼年で孤児となった甥の檜垣の主人を引取り少年の頃まで、自分の子供の中に加えて育てたのであったが、以後檜垣の主人は家を飛出し、外国までも浮浪《さまよ》い歩るいて音信不通であったこの甥に対し、何の愛憎も消え失《う》せているといった。しかし、このまま捨置くことなら檜垣の家は後嗣《あと》絶えることになるといった。
甥の檜垣の家が宗家で、伯母はその家より出て分家へ嫁に行ったものである。伯母はいった、自分の家は廃家しても関《かま》わぬ、しかし檜垣の宗家だけは名目だけでも取留めたい。そこで相談である。もし「それほど嫌でなかったら――」自分の娘を娶《めと》って呉《く》れて、できた子供の一人を
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