れをおまえにやる。こりゃいいもんだ。やるからおまえの伯母さんにしなさい。」
 病友は死んだ。店の旧取引先か遊び仲間の知友以外に京都には身寄りらしいものは一人も無かった。東京の伯母なるものに問合すと、年老いてることでもあり葬儀万端|然《しか》るべくという返事なので鼈四郎は、主に立って取仕切り野辺の煙りにしたことであった。


 その遺骨を携えて鼈四郎は東京に出て来た。東京生れの檜垣の主人はもはや無縁同様にはなっているようなものの菩提寺《ぼだいじ》と墓地は赤坂青山辺に在った。戸主のことではあり、ともかく、骨は菩提寺の墓に埋めて欲しいという伯母の希望から運んで来たのであったが、鼈四郎は東京のその伯母の下町の家に落付き、埋葬も終えて、序《ついで》にこの巨都も見物して京都に帰ろうとする一ヶ月あまりの間に、鼈四郎はもう伯母の擒《とりこ》となっていた。
 この伯母は、女学校の割烹教師《かっぽうきょうし》上りで、草創時代の女学校とてその他家政に属する課目は何くれとなく教えていた。時代後れとなって学校を退かされてもこれが却《かえ》って身過ぎの便りとなり、下町の娘たちを引受けて嫁入り前の躾《しつけ》をする
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