虚も、すぐまわりから歓談で埋められ、苦り切り腕組をして、不満を示している彼の存在なぞは誰も気付かぬようになった。彼の怒りは縮れた長髪の先にまでも漲《みなぎ》ったかと思われた。その上、彼を拗《こじ》らすためのように、夫人は勧められて「京の四季」かなにかを、みんなの余興の中に加って唄《うた》った。低めて唄ったもののそれは暢《のび》やかで楽しそうだった。良人の画家も列座と一しょに手を叩《たた》いている。
 すべてが自分に対する侮蔑《ぶべつ》に感じられてならない鼈四郎は、どんな手段を採ってもこの夫人を圧服し、自分を認めさそうと決心した。彼は、檜垣の主人を語って、この画家夫妻の帰りを待ち捉え、主人の部屋の画室へ、作品を見に寄って呉《く》れるよう懇請した。その部屋には鼈四郎の制作したものも数々置いてあった。
 彼は遜《へりくだ》る態度を装い、強いて夫人に向って批評を求めた。そこには額仕立ての書画や篆額《てんがく》があった。夫人はこういうものは好きらしく、親し気に見入って行ったが、良人を顧みていった。「ねえ、パパ、美しくできてるけど、少し味に傾いてやしない?」良人は気の毒そうにいった。「そうだなあ、
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