せる想《おも》い出にした。アンディーヴの截片はこの効果を起すと共に、それ自身、食べて食べた負担を感ぜしめないほど軟く口の中で尽きた。滓《かす》というほどのものも残らない。
「口惜しいけれど、おいしいわよ」
 お絹は唾液《だえき》がにじんだ脣《くちびる》の角を手の甲でちょっと押えてこういった。
「うまかろう。だから食ものは食ってから、文句をいいなさいというのだ」
 鼈四郎の小さい眼が得意そうに輝いた。
「ふだん人に難癖をつける娘も、僕の作った食もののうまさには一言も無いぜ。どうだ参ったか」
 鼈四郎は追い討ちしていい放った。
 お絹は両袖《りょうそで》を胸へ抱え上げてくるりと若い料理教師に背を向けながら、
「参ったことにしとくわ」
 と笑い声で応けた。
 ふだん言葉かたき同志の若い料理教師と、妹との間に、これ以上のうるさい口争いもなく、さればといって因縁を深めるような意地の張り合いもなく、あっさり済んでしまったのをみて、お千代はほっとした。安心するとこの姉にも試しに食べてみたい気持がこみ上げて来た。
「じゃ、あたしも一つ食べてみようかしら」
 とよそ事のようにいいながらそっと指尖を鉢に送
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