て性の軽いものにした。生が「あれは、まず、あれだけのもの」としたなら、死もまた「これは、まず、これだけのもの」に過ぎなかった。彼は衒学的《げんがくてき》な口を利くことを好むが、彼には深い思惟《しい》の素養も脳力も無い筈《はず》である。
 これは全く押し詰められた体験の感じから来たもので、それだけにまた、動かぬものであった。彼は少青年の頃まで、拓本の職工をしていたことがあるが、その拓本中に往々出て来る死生一如とか、人生一|泡滓《ほうさい》とかいう文字をこの感じに於て解していた。それ故にこそ、とどのつまりは「うまいものでも食って」ということになった。世間に肩肘《かたひじ》張って暮すのも左様大儀な芝居でもなかった。
 だが、今宵《こよい》の闇の深さ、粘っこさ、それはなかなか自分の感じ捉えた死などいう潔く諦めよいものとは違っていて、不思議な力に充《み》ちている。絶望の空虚と、残忍な愛とが一つになっていて、捉えたものは嘗《な》め溶し溶し尽きたら、また、原形に生み戻し、また嘗め溶す作業を永遠に、繰返さでは満足しない執拗《しつよう》さを持っている。こんな力が世の中に在るのか。鼈四郎は、今迄、いろいろ
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