任感が軽くて世話をして呉れる老女は便利だった。しかし生きてるうちは好みに殉じ死に向ってはこれを遊戯視して、一切を即興詩のように過したかに見えた檜垣の主人が譫言の無意識でただ一筋、世俗的な糸をこの世に曳《ひ》き遺《のこ》し、それを友だちの自分に絡《から》みつけて行って、しかもその糸が案外、生あたたかく意味あり気なのを考えるのは嫌だった。
 伯母が世話をして呉れた下町の三四の有力な家の中で、鼈四郎は蛍雪館の主人に一ばん深く取入ってしまった。
 蛍雪館の主人は、江戸っ子漢学者で、少壮の頃は、当時の新思想家に違いなかった。講演や文章でかなり鳴《なら》した。油布の支那服なぞ着て、大陸政策の会合なぞへも出た。彼の説は時代遅れとなり妻の変死も原因して彼は公的のものと一切関係を断ち、売れそうな漢字辞典や、受験本を書いて独力で出版販売した。当ったその金で彼は家作や地所を買入れ、その他にも貨殖の道を講じた。彼は小富豪になった。
 彼は鰥《やもめ》で暮していた。姉のお千代に塾をひかしてから主婦の役をさせ、妹のお絹は寵愛物《ちょうあいぶつ》にしていた。蛍雪の性癖も手伝い、この学商の家庭には檜垣の伯母のようなもの以外出入りの人物は極めて少かった。新来とはいえ蛍雪に取って鼈四郎《べつしろう》は手に負えない清新な怪物であった。琴棋書画等趣味の事にかけては大概のことの話相手になれると同時に、その話振りは思わず熱意をもって蛍雪を乗り出させるほど、話の局所局所に、逆説的な弾機を仕掛けて、相手の気分にバウンドをつけた。中でも食味については鼈四郎は、実際に食品を作って彼の造詣《ぞうけい》を証拠立てた。偏屈人に対しては妙に心理洞察のカン[#「カン」に傍点]のある彼は、食道楽であるこの中老紳士の舌を、その方面から暗《そら》んじてしまって、嗜慾《しよく》をピアノの鍵板《けんばん》のように操った。鰥暮しで暇のある蛍雪は身体の中で脂肪が燃えでもするようにフウフウ息を吐きながら、一日中炎天の下に旅行用のヘルメットを冠《かぶ》って植木鉢の植木を剪《き》り嘖《さいな》んだり、飼ものに凝ったり、猟奇的な蒐集物《しゅうしゅうぶつ》に浮身を※[#「哨」の「口」に代えて「にんべん」、第4水準2−1−52]《やつ》したりした。時には自分になまじい物質的な利得ばかりを与えながら昔日の尊敬を忘れ去り、学商呼ばわりする世情を、気狂いのよ
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