の職仕を紹介してこの方面でも鼈四郎を引留める錨《いかり》を結びつけた。伯母は蛍雪館が下町に在った時分姉娘のお千代を塾で引受けて仕込んだ関係から蛍雪とは昵懇《じっこん》の間柄であった。
何という無抵抗無性格な女であろうか。鼈四郎は伯母の末の娘で檜垣の主人の従姉妹《いとこ》に当るこの逸子という女の、その意味での非凡さにもやがて搦《から》め捕られてしまった。鼈四郎のような生活の些末《さまつ》の事にまで、タイラントの棘《とげ》が突出ている人間に取り、性抜きの薄綿のような女は却《かえ》って引懸り包《くる》まれ易い危険があったのだった。鼈四郎の世間に対する不如意の気持から来る八つ当りは、横暴ないい付けとなって手近かのものへ落ち下る。彼女はいつもびっくりした愁い顔で「はいはい」といい、中腰《ちゅうごし》駈足《かけあし》でその用を足そうと努める。自分の卑屈な役割は一度も顧ることなしに、また次の申付けをおどおどしながら待受けているさまは、鼈四郎には自分が電気を響かせるようで軽蔑《けいべつ》しながら気持がよいようになった。世を詛《のろ》い剰《あま》って、意地悪く吐出す罵倒や嘲笑《ちょうしょう》の鋒尖《ほこさき》を彼女は全身に刺し込まれても、ただ情無く我慢するだけ、苦鳴の声さえ聞取られるのに憶している。肌目《きめ》がこまかいだけが取得の、無味で冷たく弱々しい哀愁、焦《じ》れもできない馬鹿正直さ加減。一方、伯母は薄笑いしながら説得の手を緩めない。鼈四郎としては「何の」と思いながら、逸子が必要な身の廻りのものとなった。結婚同様の関係を結んでしまった。ずるずるべったりに伯母の望む如く、鼈四郎は、東京居住の人間となり逸子を妻と呼ぶことにしてしまった。そして檜垣の主人が死ぬ前に譫言《うわごと》にいった「伯母をおまえにやる。おまえの伯母にしろ」といった言葉が筋書通りになった不思議さを、ときどき想《おも》い見るのであった。
京都に一人残っている生みの母親、青年近くまで養ってくれた拓本の老職人のことも心にかからないことはないけれども、鼈四郎の現在のような境遇には、彼等との関係はもとからの因縁が深いだけに、それを考えに上すことは苦しかった。この撥ぜ開けた巨都の中で一旗揚げる慾望に燃え盛って来た鼈四郎に取り、親友でこそあれ、他人の伯母さんを伯母さんと呼ぶぐらいの親身さが抜き差しができて責任が軽かった。責
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