が最後に気に入りの蒐集品《しゅうしゅうひん》で部屋の中を飾った。それでも狭い部屋の中は一ぱいで猶太人《ユダヤじん》の古物商の小店ほどはあった。
彼はその部屋の中に彼が用いつけの天蓋附《てんがいつき》のベッドを据えた。もちろん贋《にせ》ものであろうが、彼はこれを南北戦争時分にアメリカへ流浪した西班牙《スペイン》王属出の吟遊詩人が用いたものだといっていた。柱にラテン文字で詩は彫付けてあるにはあった。彼はそこで起上って画を描き続けた。
癌《がん》はときどき激しく痛み出した。服用の鎮痛剤ぐらいでは利かなかった。彼は医者に強請《せが》んで麻痺薬《まひやく》を注射して貰う。身体が弱るからとてなかなか注《さ》して呉《く》れない。全身、蒼黒《あおぐろ》くなりその上、痩《やせ》さらばう骨の窪《くぼ》みの皮膚にはうす紫の隈《くま》まで、漂い出した中年過ぎの男は脹《は》れ嵩張《かさば》ったうしろ頸《くび》の瘤《こぶ》に背を跼《くぐ》められ侏儒《しゅじゅ》にして餓鬼のようである。夏の最中《さなか》のこととて彼は裸でいるので、その見苦しさは覆うところなく人目を寒気立した。痛みが襲って来ると彼はその姿でベッドの上で※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き苦しむ。全身に水を浴びたよう脂汗をにじみ出し長身の細い肢体を捩《ねじ》らし擦り合せ、甲斐《かい》ない痛みを扱《こ》き取ろうとするさまは、蛇が難産をしているところかなぞのように想像される。いくら認め合った親友でも、鼈四郎《べつしろう》は友の苦しみを看護《みと》ることは好まなかった。
苦しみなぞというものは自分一人のものだけでさえ手に剰《あま》っている。殊に不快ということは人間の感覚に染《し》み付き易いものだ。芸術家には毒だ。避けられるだけ避けたい。そこで鼈四郎は檜垣の病主人に苦悶《くもん》が始まる、と、すーっと病居を抜け出て、茶を飲んで来るか、喋《しゃべ》って来るのであった。だが病友は許さなくなった。「なんだ意気地のない。しっかり見とれ、かく成り果てるとまた痛快なもんじゃから――」息を喘《あえ》がせながらいった。
鼈四郎は、手を痛いほど握り締め、自分も全身に脂汗をにじみ出させて、見ることに堪えていた。死は惧《おそ》ろしくはないが、死へ行くまでの過程に嫌なものがあるという考えがちらりと念頭を掠《かす》めて過ぎた。だがそういう
前へ
次へ
全43ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング