は吐くようにこういって腕組みをした。
この市隠荘はお絹等姉妹の父で漢学者の荒木蛍雪が、中橋の表通りに画帖や拓本を売る蛍雪館の店を開いていた時分に、店の家が狭いところから、斜向うのこの露路内に売家が出たのを幸、買取って手入れをし寝泊りしたものである。ちょっとした庭もあり、十二畳の本座敷なぞは唐木が使ってある床の間があって瀟洒《しょうしゃ》としている。蛍雪はその後、漢和の辞典なぞ作ったものが当り、利殖の才もあってだんだん富裕になった。表通りの店は人に譲り邸宅を芝の愛宕山の見晴しの台に普請し、蛍雪館の名もその方へ持って行った。露路内の市隠荘はしばらく戸を閉めたままであったのを、鼈四郎が蛍雪に取入り、荒木家の抱えのようになったので、蛍雪は鼈四郎にこの市隠荘を月々僅な生活費を添えて貸与えた。但し条件附であった。掃除をよくすること、本座敷は滅多に使わぬこと――。それゆえ、鼈四郎夫妻は次の間の六畳を常の住いに宛《あ》てているのであった。一昨年の秋、夫妻にこどもが生れると蛍雪は家が汚れるといって嫌な顔をした。
「ちっとばかりの宛がい扶持《ぶち》で、勝手な熱を吹く。いずれ一泡吹かしてやらなきゃ」
それかといって、急にさしたる工夫もない。そんなことを考えるほど眼の前をみじめなものに感じさすだけだった。
鼈四郎は舌打ちして、またもとのチャブ台へ首を振り向けた。懐手をして掌を宛てている胃拡張の胃が、鳩尾《みぞおち》のあたりでぐうぐうと鳴った。
「うちの奴等、何を食ってやがったんだろう」
浅い皿の上から甘藷《いも》の煮ころばしが飯粒をつけて転げ出している。
「なんだ、いもを食ってやがる。貧弱な奴等だ」
鼈四郎は、軽蔑し切った顔をしたけれども、ふだん家族のものには廉価なものしか食べることを許さぬ彼は、家族が自分の掟《おきて》通りにしていることに、いくらか気を取直したらしい。
「ふ、ふ、ふ、いもをどんな煮方をして食ってやがるだろう。一つ試《ため》してみてやれ」
彼は甘藷についてる飯粒を振り払い、ぱくんと開いた口の中へ抛り込んだ。それは案外上手に煮えていた。
「こりゃ、うまいや、ばかにしとらい」
鼈四郎は、何ともいいようのない擽《くすぐ》ったいような顔をした。
霰を前髪のうしろに溜めて逸子が帰って来た。こどもを支えない方の手で提げて来たビール壜《びん》を二本差出した。
「さし当って
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