《えんがわ》で跪《ひざまず》いた直助は異様に笑つた。両親のうしろから見てゐたかの女は身のうちが慄《ふる》へた。直助の心にも悪魔があるのか。今の眼の光りは只事《ただごと》ではない。若い土蕃《どばん》が女を生捕りに出陣するときのあの雄叫《おたけ》びを、声だけ抜いて洩《もら》した表情ではないか。直助はこれから魔力のある食べものを探して来て、それを餌《えさ》にして私を虜《とりこ》にしようとするものではないかしらん。
「直助なんかに探させなくつても」
かの女は言つた。すると父親よりも先に直助が押へた。
「いえ、わたくしがお探しいたします。」
「白|鮠《はや》のこれんぱかしのは無いかい。」
「石斑魚《うぐい》のこれんぱかしのは無いかい。」
「岩魚《いわな》のこれんぱかしのは無いかい。」
「川|鯊《はぜ》のこれんぱかしのは無いかい。」
魚籠《びく》を提げて、川上、川下へ跨《また》がり、川魚を買出しに行く直助の姿が見られた。川上の桜や、川下の青葉の消息が彼の口から土産《みやげ》になつて報じられた。彼は一通りそれらの報告をして、生魚の籠《かご》を主人達に見せてから女中達のゐる広い厨《くりや》に行き、買ひ出して来た魚を、自分で生竹の魚刺を削つて、つけ焼にした。
「出来ました。お喰《あが》りなさい。」
直助は、魚の皿を運んで来る女中のうしろから、少し遠ざかつてかの女に手をついた。
父から頼まれたとしても、何故《なぜ》、この召使はわたしにかうも熱心に食べものを勧めるのだらう。かの女は直助が父に、かの女の食べものを探すことを云ひつかつたときの異様な眼の光りを観《み》て取つた上、かういふ熱心な態度をされるので、つむじを曲げた。
「いやだと言ふのに、直助。生臭いおさかななんかは。」
「でも、ご覧になるだけでも……。」
直助の言ひ淀《よど》む言葉には哀願に似たものが含まれてゐる。
川魚は、みな揃《そろ》つて小指ほどの大きさで可愛《かわ》ゆかつた。とつぷりと背から腹へ塗られた紺《こん》のぼかし[#「ぼかし」に傍点]の上に華奢《きゃしゃ》な鱗《うろこ》の目が毛彫りのやうに刻まれて、銀色の腹にうす紅《べに》がさしてゐた。生れ立ての赤子の掌《てのひら》を寵愛《ちょうあい》せずにはゐられないやうな、女の本能のプチー(小さくて可愛いゝ)なものに牽《ひ》かるゝ母性愛的愛慾がかの女の青春を飛び越し
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