踊家ですから」と姐さん芸妓《げいぎ》は洩《もら》した。すると、かの女は自分の口へ指を当てて「しっ」といって姐さんにまず沈黙を求めた。それから芝居の仕草も混ぜて「これ、こえが高い、ふな[#「ふな」に傍点]が安い」と月並な台詞《せりふ》の洒落《しゃれ》を言った。
 姐さんたちは、自分たちをお客に聘ばせて呉れた恩人のお雛妓の顔を立てて、ばつを合せるようにきゃあきゃあと癇高《かんだか》く笑った。しかし、雛妓のその止め方には、その巫山戯方《ふざけかた》の中に何か本気なものをわたくしは感じた。
 その夜は雛妓《おしゃく》は、貰われるお座敷があって、わたくしたちより先へ帰った。夏のことなので、障子を開けひろげた窓により、わたくしは中之島が池畔へ続いている参詣道《さんけいどう》に気をつけていた。松影を透して、女中の箱屋を連れた雛妓は木履《ぽっくり》を踏石に宛《あ》て鳴らして帰って行くのが見えた。わたくしのいる窓に声の届きそうな恰好《かっこう》の位置へ来ると、かの女は始めた。
「奥さまのかの子さーん」
 わたくしは答える。
「お雛妓さんのかの子さーん」
 そして嘗《かつ》ての夜の通り、
「かの子さーん」
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