せぐり上げして来る涙を、胸の喘《あえ》ぎだけでは受け留めかねて、赤くした眼からたらたら流している。わたくしは逸作のこんなに泣いたのを見るのは始めてだった。わたくしは袖《そで》から手巾《ハンケチ》を出してやりながら、
「やっぱり、男は、男の事業慾というものに同情するの」
 と訊《き》くと、逸作は苦しみに締めつけられたように少し狂乱の態とも見えるほどあたり関わず切ない声を振り絞った。
「いや、そうじゃない。そうじゃない」
 そして、わたくしの肩をぐさと掴《つか》み、生唾《なまつば》を土手の若草の上に吐いて喘ぎながら言った。
「おやじが背負い残した家霊の奴め、この橋くらいでは満足しないで、大きな図体の癖に今度はまるで手も足もない赤児のようなお前によろよろと倚《よ》りかかろうとしている。今俺にそれが現実に感じられ出したのだ。その家霊も可哀《かわい》そうならおまえも可哀そうだ。それを思うと、俺は切なくてやり切れなくなるのだ」
 ここで、逸作は橋詰の茶店に向って水を呼んで置いてから、喘ぎを続けた。
「俺が手の中の珠にして、世界で一番の幸福な女に仕立ててみようと思ったお前を、おまえの家の家霊は取戻そ
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