少とも受けているであろう。家によってのみ生きている旧家の人間が家を失うことの怯《おび》えは何かの形で生命に影響しないわけはなかった。晩年、父の技倆《ぎりょう》としては見事過ぎるほどの橋を奔走して自町のために造り、その橋によってせめて家名を郷党に刻もうとしたのも、この悔を薄める手段に外ならなかった。
逸作は肉親関係に対しては気丈な男だった。
「芸術家は作品と理解者の外に肉親はない。芸術家は天下の孤児だ」そう言って親戚《しんせき》から孤立を守っていた。しかしわたくしの実家の者に対しては「一たいに人が良過ぎら」と言って、秘《ひそ》かに同情は寄せていた。
「俺はおまえを呉れると先に口を切ったおふくろさんの方が好きなんだが、そうかなあ、矢張り娘は父親に懐くものかなあ」
そう言って、この際、充分に泣けよとばかりわたくしを泣かして置いて呉れた。わたくしはおろおろ声で、「そうばかりでもないんだけれど、今度の場合は」と言って、なおも手巾《ハンケチ》を眼に運んでいた。
食品が運ばれ出した。私は口に味もない箸《はし》を採りはじめる。木の芽やら海胆《うに》やら、松露《しょうろ》やら、季節ものの匂《にお》いが食卓のまわりに立ち籠《こ》めるほど、わたくしはいよいよ感傷的になった。十八年の永い間、逸作に倣ってわたくしは実家のいかな盛衰にもあらわな情を見せまいとし、父はまた、父の肩に剰《あま》る一家の浮沈に力足らず、わたくしの喜憂に同ずることが出来なかった。若き心を失うまいと誓ったわたくしと逸作との間にも、その若さと貧しさとの故に嘗《かつ》て陥った魔界の暗さの一ときがあった。それを身にも心にも歎《なげ》き余って、たった一度、わたくしは父に取り縋《すが》りに行った。すると父は玄関に立ちはだかったまま「え――どうしたのかい」と空々しく言って、困ったように眼を外らし、あらぬ方を見た。わたくしはその白眼勝ちの眼を見ると、絶望のまま何にもいわずに、すぐ、当時、灰のように冷え切ったわが家へ引き返したのであった。
それが、通夜の伽《とぎ》の話に父の後妻がわたくしに語ったところに依ると、
「おとうさんはお年を召してから、あんたの肉筆の短冊を何処かで買い求めて来なさって、ときどき取出しては人に自慢に見せたり自分でも溜息《ためいき》をついては見ていらっしゃいました。わたしがあのお子さんにお仰《っ》しゃったら幾
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