きょうの月です」と、それが談林の句であるとまでは知らないらしく、ただこの句の捨《な》げ遣《や》りのような感慨を愛して空を仰いで言った。
結婚から逸作の放蕩《ほうとう》時代の清算、次の魔界の一ときが過ぎて、わたくしたちは、息も絶え絶えのところから蘇生《そせい》の面持で立上った顔を見合した。それから逸作はびび[#「びび」に傍点]として笑いを含みながら画作に向う人となった。「俺は元来うつろの人間で人から充《み》たされる性分だ。おまえは中身だけの人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」とその当時言った。
それから十余年の歳月はしずかに流れた。逸作は四十二の厄歳も滞りなく越え、画作に油が乗りかけている。「おとなしい男、あたくしのために何もかも尽して呉《く》れる男――」だのにわたくしは、何をしてやっただろう。小取り廻《まわ》しの利かないわたくしは、何の所作もなく、ただ魂をば、愛をば体当りにぶつけるよりしかたなかった。例えそれを逸作は「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」と悦ぶにしても、ときには世の常の良人《おっと》が世の常の妻にサービスされるあのまめまめしさを、逸作の中にある世の常の男の性は欲していないだろうか。わたくしはときどきそんなことを思った。
酒をやめてから容貌《ようぼう》も温厚となり、あの青年時代のきらびやかな美しさは艶消《つやけ》しとなった代りに、今では中年の威がついて、髪には一筋二筋の白髪も光りはじめて来ている。
わたくしは、その逸作に、雛妓《おしゃく》が頻《しき》りにときめかけ、縺《もつ》れかけている小娘の肉体の陽炎《かげろう》を感ずると、今までの愁いの雲はいつの間にか押し払われ、わたくしの心にも若やぎ華やぐ気持の蕾《つぼみ》がちらほら見えはじめた。それは嫉妬《しっと》とか競争心とかいう激しい女の情焔《じょうえん》を燃えさすには到らなかった。相手があまりにあどけなかったからだ。そしてこちらからうち見たところ多少腕白だったと言われるわたくしの幼な姿にも似通える節のある雛妓の腕働きでもある。それが逸作に縺れている。わたくしはこれを眺めて、ほんのり新茶の香りにでも酔った気持で笑いながら見ている。雛妓は、どうしてもうんと言わない逸作に向って、首筋の中へ手を突込んだり、横に引倒しかけたりする。遂《つい》に煩しさに堪え兼ねた逸作
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