ゐだつた。ところがその顔の額《ひたい》へもつていつて彼は「千鳥」と太文字で書き入れた。それから右の頬《ほお》づらへ師匠の宗佐の名を鑑定の印の形に似せて朱で書き入れた。この趣向は飛抜けて奇抜だつたので、たちまち京阪《けいはん》の遊び仲間の評判になつた。当時その酒席に居た秋成は、宗了のこの働きを眼の前に見て、これがほんたうの若さから来る即興といふものではないかと感じたことであつた。どう思ひ切つても秋成自身には、この芸は出来さうもなかつた。宗了の美男と、若さ、がうらやまれた。
 さて、秋成自身ふり返つて見るのに、自分の肉体には若いうちから老いが蝕《むしば》んでゐて、思ひ切つた若さも燃えさからなかつた。だが、わが身のうちに蝕《むしば》んだこの若い頃からの老いが、その代り自分のなかにある不思議な情緒を、この七十の齢まで包みかばひ保たしてゐるのかも知れない。うつし世のうつしごとの上では満足出来ず、さればとて死を越えては、いよいよ便りを得さうも無い欲情――わづかにそれを紙筆の上に夢にのみ描いて、そのあとを形にとどめて来た。それは現実の自分の上では、身体でつきとめようとすれば、こころに遁《のが》れ、こ
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