折れ、またあまり殺生《せっしょう》にも思へるからであらう。秋成自身も命数のあまる処を観念して、すつかり投げた気持になつてしまつた。
文化五年死の前の年の執筆になる胆大小心録の中にかう書いてゐる。
もう何も出来ぬ故《ゆえ》、煎茶《せんちゃ》を呑んで死をきはめてゐる事ぢや――
小庵を作るときにも人間の住宅に対する最後の理想はあつた。それはわづか八畳の家でよかつた。その八畳のなかの四畳を起き臥《ふ》しの場所にして、左右二畳づつに生活の道具を置く。机は東側の※[#「片+(戸<甫)」、第3水準1−87−69]下《まどした》に持つて行き、そばに炉を切り、まはりの置きもの棚に米|醤油《しょうゆ》など一切飲み食ひの品をまとめて置く。西の端の一畳分の上に梅花の紙帳を釣り下げ、その中に布団から、脱ぎ捨てた着物やらを抛《ほう》り込んで置く。夏の暑さのために縁の外の葦竹《あしだけ》、冬の嵐気《らんき》を防ぐために壁の外に積む柴薪《さいしん》――人間が最少限の経費で営み得られる便利で実質的な快適生活を老年の秋成はこまごまと考へて居た。しかし、その程度の費用さへ彼は弁じ兼ねた。やむを得ず建てたところのものは
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