《お》ちればとて、世間医のやる幇間《ほうかん》と骨董《こっとう》の取次《とりつぎ》と、金や嫁の仲人《なこうど》口だけは利くまい」と決心した。
 足まめにやる方針は一草医秋成を流行《はや》らせて暮しも豊《ゆたか》になつた。医者をはじめて四年目に、家を買ひ、造作をし直して入るやうになつた。その時の費用十二|貫《かん》目を払ふことも、さう骨折らずに都合がついた。まづこの分なら見込みはついたと、せつせと働くうちに、自体が弱いからだなのでたうとう堪へ切れず残念にも医者をやめなければならなくなり、またもとの田舎住居《いなかずまい》とはなつた。其処《そこ》がすなはち長柄川の閑居だつた。
 妻のお玉にしても、どこに妻らしいたのしみがあつたらうか。自分が遊び盛りの若いうちは運びの留守番、医者になつて流行《はや》るうちは客の取次、薬の調合、それからやつと家にゐるやうになると、病人になつた夫の介抱だ。その上七十六まで永生きされた自分の養母を引受けて面倒は見る。まるでお玉は自分の家へ女中に来たやうな女だつた。自分も六十に手が届くやうになり、田舎《いなか》の閑居で退屈まぎれに、同棲《どうせい》三十年近くで、はじめて妻といふ女を見直して見るのであつた。それも、左の眼は悪くなつてしまつてゐたから、右の眼一つであつた。このときお玉はもう五十一歳だつた。もとから取立てるほどのきりやうもなかつたが、それが白髪《しらが》だらけになると、ただありきたりの老婆《ろうば》だつた。一体が、さういふふうな女でもあるし、京都生れで、辛抱強いのに生れの性といふ考へが、こつちの頭にあるものだから、ただかういふ風に苦労をするやうにできて来た女が老婆になつても、根よくことこと働いて居る家具のやうで、その点が、めづらしかつたのだ。この女に、女らしさなどあるとも思はないし、見つけ出すのはいや味な気がして、妻が枯木のやうな老婆になつて行くのを、却《かえっ》て珍重する気持だつた。だから自分が五十九歳、妻が五十一歳の寛政四年にまづ妻の母親が死に、すぐ自分の養母が死にして、何だか気合ひ抜けしたやうな形になつた妻のお玉が、髪をおろして尼の態《てい》になり度《た》いと申出たときに、早速それを許したのだつた。女臭いところの嫌ひな自分の傍にゐる女が一層枯木の姿になるのはさつぱりするからだつた。そのとき妻は、尼らしい名をつけて呉《く》れと頼むの
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