《あそん》の子の良真《よしざね》の女として小町が記入されてゐるのもあり、無いのもある。
次に典拠になる考証を調べた。古来、名だたる学者が甲論乙駁して主張は数説に岐《わか》れてゐる。だが主流になる説は二説であつた。小町は近畿在住の小野家一族中に姫として出生し、直ちに宮中へ仕へたといふ説と、飽くまで伝説通り、良真が出羽守として赴任中妾腹に生れ、後京都に上つたといふ説とである。そして小町の古蹟と呼ばれてゐるものも近畿地方と出羽国との双方に多く割拠してゐる。
君助は強ひて真偽を定めなかつた。美人の素姓に於て、謎の深いことは魅惑の強いことにもなるからだ。
君助は楽しんで、伝説の小町の研究に入つて行つた。草紙洗小町、雨乞小町などといふいはゆる七小町の類から六歌仙の一人としての歌仙小町、それから人生の栄枯盛衰にかけてあはれ深く説きなした玉造小町、業平東下りの条の髑髏の小町などまで、およそ絶世の美女の上に空想される詩的構想を、あらゆる角度から伝説は充たしてゐる。そしてこれ等の空想の翼は、かなり小町の歌と世に通つてゐるものから飛翔してゐるのに気付いて、今度は彼女の歌の研究に入つて行つた。
小町集
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