め切つて生きて行けるものではなかつた。寂しさを増したため却つて埋み火のやうに心の奥へ封じ込められてゐた情感がうづいて、何等かのあたたかみを求めるのであつた。彼は始めて女性の魅力といふものに真から恋ひ出した。死んだ妻とは単なる媒妁結婚だつた。
 生きた女もなま/\しく嫌だ。さればとて歴史上の女に慰められるにはまた史実に固定され過ぎて彼女等は干からびてゐる。縹渺《ひようびよう》とした伝説の女こそ、今の彼の心を慰める唯一の資格者だ。しかも彼女が飽くまで美しく、魅惑を持つ性格として夢みられ、彼に臨んで来なければ、彼のやうな灰人を動すには足りなかつた。彼は小野小町を考へ当てた。初恋の女のやうに夢中になつて弘仁朝の美女の研究に取付いた。
 頃は明治二十八九年日清の戦役が終つた頃である。戦役中に起つた古典復活の勢はなほしばらく彼の調査に便宜を与へた。珍らしい史料や典拠も手に入つた。
 彼の初めの目的は伝説から来る超現実の美女の俤《おもかげ》を心に夢み味ひしめることに在つたが、ある程度までの史実的存在の基礎は掴みたかつた。
 彼は先づ小野家の系図から調べにかかつた。あの有名な遣唐使|篁《たかむら》朝臣
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