の入つてゐる――」
「こんな虫喰ひ人形、どこがいゝんでせう」
君助はその度に夢の世界から現実の世界へ引戻される気がして、功利一方の妻の醜くさを感ずると共に、酔ふものを奪はれたあとの世の中の落寞に白け切つた。
彼はだん/\精神のまはりに灰色の殻を厚めて行つた。彼の情熱は書籍上の研究に集中された。いつとなく夫と妻とは闘ひ疲れて、無為を望む消極的の平和が家庭に幕を降したのである。
その時妻は死んでしまつた。病身の一人息子も死んでしまつた。彼だけが在野の国史国文に関する権威者の一人となつて残つた。
孤独の身となつて見ると彼には何事も判るやうな気がした。うるさいと思つた妻も、やはり弱い一箇の女であつたのだ。家のため、子のため老いのために、これはどうしても闘つたのが当然であると思はれて来た。妻が平凡な女だつただけに彼には却つて憐れみが残つた。
彼はまだ壮年だつたが、再婚する気は全然無かつた。何といつても妻といふものには懲りた上、精神のまはりに附いてゐる厚い殻はさういふ現実上の繋縛に再び牽かれることをすつかりおつくうがつてゐた。
しかしながら彼のやうな性質の人間が全く枯淡な冷灰の生活に諦
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