、勢込んだる門徒衆の執心。影像堂の新築落成と共に取り戻しに来るは必定。そのゆえ無理難題を言いかけ、此方《こちら》で影像擁護の為め、今暫らくそちらへの取戻しは、諦めさせ置こうとの、此の方の苦肉の親切。その方便を正直にうけ取って命を捨つる親子の信念。斯かる例を見るからは、最早や如何なる怨魔出で来るとも、退散させて弥陀の念仏。一宗再興疑いなし。出来《でか》したぞ堅田の源右衛門。この上は心よく、親鸞影像を戻し返してつかわすのみか、他宗ながら忰源兵衛の菩提も、こなたで弔《とむら》い追善供養。三密|瑜伽《ゆが》の加持力にて、安養成仏諸共に、即身成仏兼ね得させん。心を安めよ仏子源右衛門』
源右衛門(額《ぬか》ずきつつ)『老先《おいさき》短いこの年寄が、忰に代って生き永らえ、悲しいやら面目ないやら、心苦しゅうござりまするが、御門徒宗が他宗の智識に、これほどまでに褒《ほ》められる手柄をしたと思えば、どうやら心が慰められます。お察しなされて下さりませ』
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(法師五六人、親鸞聖人の木像を担ぎ出して来る)
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阿闍梨『親鸞どのもいたわしゅう思召《おぼしめ》されていらるるだろう。それ、各僧、源右衛門の背に負わしてやられよ』
法師一同『畏《かしこま》りました』
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(此の時おくみは跣足《はだし》で先に、蓮如上人は駕《かご》に乗り、取るものも取りあえぬ形で花道を駈けつけて来る)
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おくみ(源右衛門に取りついて)『もうし、ととさん、こちの人はどうしやさんした』
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(源右衛門、親鸞聖人の木像を背負いつつ、顔をそむけて、うつ向く。)
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おくみ『黙っていなさるは心がかり。早う教えて下さりませ』
源右衛門『これ嫁女、源兵衛はな』
おくみ『源兵衛さんは?』
源右衛門『それ、そこじゃ』(顎にて袖の千切れに包まれし首を示し、涙をはらはらと落す。)
おくみ(袖の首を取上げて)『やっぱり覚悟の通りにならしゃんしたか。ととさんと一緒に旅立ちの様子がおかしいと、直ぐそのあとでかかさんを攻め詰《なじ》って漸《よう》よう訊いた事の仔細。それから山科の御坊に駈けつけて、お上人さまにお訴え申し、お上人さまともども急いで駈けつけたが』(泣く)
蓮如(駕籠《かご》より降り)『時遅れしか、残念、残念』
源右衛門『嫁女、歎くまいぞ。そなたが抱いておるは、そりゃ源兵衛の抜け殻。魂は移って、これ、此処に在《おわ》します』(顎にて背中の影像を示す)
おくみ(袖の首を抱えたまま、影像に取りついて)『身を捨てても、人を救うとは仏のお誓い。その誓いの通りなさんした、源兵衛さんは、凡夫でいながら聖《ひじり》も同然。見れば開山聖人さまの御影像も泣いていやしゃります。源兵衛さんは本望であろうわいなあ。わたしゃもう、歎きも、哀しみもいたしますまい。(首にものいう如く)期するところは極楽浄土。一つ台《うてな》で花嫁花婿。のう、こちの人、※[#歌記号、1−3−28]忘れまいぞえあのことを。いや、※[#歌記号、1−3−28]忘れられぬぞあのことを。※[#歌記号、1−3−28]忘れられぬぞあのことを』(唱えつつ首の包みに額を押しあて泣きむせぶ。舞台一同のものも落涙)
蓮如『時は末法、機は浅劣。聖道永く閉じ果てて、救いの術はただ信心。他力易行と教えて来たが、思いに勝《ま》さる事実の応験。愛慾泥裏の誑惑《きょうわく》の男と女がそのままに、登る仏果の安養浄土、恐ろしき法力ではあるなあ。この上は源兵衛に続いてわが身も一しお、老いの山坂|厭《いと》いなく、衆生済度《しゅじょうさいど》に馳せ向わん。有難し、忝《かたじけ》なし、源右衛門。源兵衛。(合掌しつつ和歌を口ずさむ)
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あひがたき教へを受けて渇仰《かつがう》の、
  かうべはこゝに残りこそすれ』
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(衆僧経の諷誦《ふうじゅ》の声にて、舞台一同合掌礼拝。)
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[#地から3字上げ]――幕――



底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第一卷」冬樹社
   1974(昭和49)年9月15日初版第1刷
初出:「大法輪」
   1934(昭和9)年11月号
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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