んと言うことじゃ』
信徒二『そりゃ初耳じゃ。どうして返さんのじゃろ。どだい、こっちゃのもんやないか。利息でも呉れと言うのか』
信徒一『こまかいことは知らんが、何でもややこしい難題やそうな。それで御上人さまも亦《また》、おひと苦労じゃそうな。然しそんなことをおれ達がかれこれ気を揉《も》んでも始まらんこっちゃ。ものは分け持ちや、おれ達は持分の御普請《ごふしん》に精出すのが何より阿弥陀《あみだ》さまへの御奉公じゃ。おっとそう言うてる間に日が暮れて来た。さあ、もう往《い》のう往のう、明日はまた朝早いぜ』
信徒二『御影像を返さんとはけしからん三井寺のやつじゃ。どないして返さんのや。あれはもともと……』
信徒みなみな『まあええ、われが心配することは無い。往のう往のう』
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(一同下手へ入る。花道よりおくみ、風呂敷包を抱え宿入り姿で出て来る。屈托《くったく》の様子。)
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おくみ『ああ、焦《じ》れる、焦れる。これではわたしの年に一度の奉公休みも台無しだ。お上人さまにお目にかかりに行けば、お上人さまはおいでなされず。源兵衛さまも同じこと。一日じゅう、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。なんと言う験《げん》の悪い日だろう。わたしゃもう草臥《くたび》れてしまった』
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(材木のところへ来て、その一つに腰かけ、膝へ頬杖突いて吐息つきながら思わず御影堂の棟を顧る。はっとして合掌。)
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おくみ『「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」(此の言葉を言うとき念仏の句調、以後同じ)ああ、わたしとしたことが、また瞋恚《しんい》の焔炎《ほむら》に心を焼かれ勿体《もったい》ないお上人さまをお恨み申そうとしかけていた。「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」お上人さまとて折角《せっかく》出来た此の御堂に、そりゃ常住おいでなさり度《た》いのではあろうけれど、聴けばいろいろ御公事に就《つ》いての御奔走、それを欠いてまでわたし一人の為めにお待ちなさりょう筈もなし。こりゃお留守なのが当り前だ。だが源兵衛さんはどうしても腹が癒えぬ。わたしが今日こそ年一日の暇を取って、訪にょうとは兼々《かねがね》知らしてあるのに。家へ行けば母御ばかりがぼんやり。奉公前によう逢うたあの追分けの松の根方に佇《たたず》んで待って見ても、それかと思うはまぼろしばかり。ほんの姿は遂に来もせず、――それとも若《も》しや源兵衛さんに心変りでも、――ひょっとして若しそんなことにでもなっていたら、わたしゃどうしたらよかろうかしらん。おや、またしてもわたしの取越苦労。「忘れまいぞえあのことを」「忘れまいぞえあのことを」何も時節因縁と諦めてしまえば、それで済むのだが。と言う口の下から、もう此の逢い度い心は、……ええ、も、いっそ、今日は、お上人さまにお目にかかるのはやめてしもうて、源兵衛さんに逢う一筋に骨を折ってみましょう。お上人さまはお師匠さんでも根は他人、源兵衛さんはわたしの夫。源兵衛さんに逢わずに往んでは、それこそ此の胸が焼け尽してしまうわ』
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(おくみ、決心してすっくと立上る。いつの間にか蓮如上人弟子の竹原の幸子坊一人供につれ、上手奥より出て来て様子を見て居たが、おくみが立上る途端に上人は進み出て)
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蓮如『おくみ、そりゃわしより源兵衛に逢うて行くがよい。わしは汚ない年寄りじゃものなあ』
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(おくみ、びっくりして、それが蓮如上人だと判ると、がばと突き伏す)
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おくみ『まあ、お上人さま。わたくしは恥しゅうて顔もあげられませぬ。お人の悪いお上人さま。立聴きなぞなされて』
蓮如『は、は、は、は、まあ、そう恥しがらんでもよい。恋も因縁ずく。勧めもせられん代りに障《さまた》げもせられん。ただ忘れてならぬのは六字の名号《みょうごう》じゃぞよ』
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(おくみ、起上って合掌)
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おくみ『お慈悲は身に染みて身体が浮くようでございます。然《しか》しその御名号が唱《とな》えられぬばっかりに、一度お上人さまにお目にかかってお教えを頂こうと存じましてお探し申して居りました』
蓮如『ふむ、それは気の毒とも何ともはや、さては信心退転でもいたしたか』
おくみ『退転どころではござりませぬ。父母に死なれたたった一人の孤児。お念仏は父母の遺身《かたみ》でもあればまた、わたくしの浮世
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