勢ひ大きな、貫禄のありさうな漢字を好んで書いたものであつたらう。今から思へば、自分の事ながら、いぢらしい気がする。
さやうにして、気分も違ひ、意気込みも違ふに従つてその時時の字を書いた。書かれた字は私の精魂を反映してゐて、慰めになつた。私は終日、年に似合はぬ意味も判らぬ難字――その方が感情を載せるのに収容力の余地があるやうな気がして――を書き続けるのであつた。紙をはづれて、手も机も畳までも墨で汚しながら。養育母は却つてそれを喜びながら、後で雑巾がけをして呉れた。
私より三つ上の兄は、小学校の日曜休み毎に東京市内の渋谷に住む鳴鶴流[#「流」に「ママ」の注記]の大家近藤雪竹先生の許に出向いて書を習つてゐた。家へ帰つて来て練習する母屋の方へ出向いて、それを見付けた私は、そこでも兄に負けないで一緒に習字することを思ひ立つた。私達は競争で大文字の千字文から、しまひには手に余るやうな太い筆を持つて旗や幟の字まで書いたりした。
女学生時代となつて、当時、小野鵞堂先生の人気素晴らしかつた。誰も彼も、その流麗な字を真似た。だが私は、それに向ふ気が起らなかつた。幼時から漢の字風の固い字を書きつけてゐ
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