桜
岡本かの子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)生命《いのち》を
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)桜|日和《びより》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ぽぷらあ」に傍点]
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桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命《いのち》をかけてわが眺《なが》めたり
さくら花《ばな》咲きに咲きたり諸立《もろだ》ちの棕梠《しゆろ》春光《しゆんくわう》にかがやくかたへ
この山の樹樹《きぎ》のことごと芽ぐみたり桜のつぼみ稍《やや》ややにゆるむ
ひつそりと欅《けやき》大門《だいもん》とざしありひつそりと桜咲きてあるかも
丘の上の桜さく家《いへ》の日あたりに啼《な》きむつみ居《を》る親豚子豚
ひともとの桜の幹《みき》につながれし若駒《わかごま》の瞳《め》のうるめる愛《かな》し
淋しげに今年《ことし》の春も咲くものか一樹《ひとき》は枯《か》れしその傍《そば》の桜
春さればさくらさきけり花蔭《はなかげ》の淀《よど》の浮木《ふぼく》の苔《こけ》も青めり
ひえびえと咲きたわみたる桜花《はな》のしたひえびえとせまる肉体の感じ
散りかかり散りかかれども棕梠の葉に散る桜花《はな》ふぶき溜《たま》るとはせず
ならび咲く桜の吹雪《ふぶき》ぽぷらあ[#「ぽぷらあ」に傍点]の若芽《わかめ》の枝の枝ごとにかかる
わが庭の桜|日和《びより》の真昼なれ贈りこしこれのつやつや林檎《りんご》
青森の林檎の箱ゆつやつやと取り出《い》でてつきず桜花《はな》の樹《こ》のもと
林檎むく幅広《はばひろ》ないふ[#「ないふ」に傍点]まさやけく咲き満《み》てる桜花《はな》の影うつしたり
地震《なゐ》崩《くづ》れそのままなれや石崖に枝垂《しだ》れ桜は咲き枝垂れたり
しんしんと桜花《さくら》かこめる夜《よる》の家|突《とつ》としてぴあの[#「ぴあの」に傍点]鳴りいでにけり
しんしんと桜花《はな》ふかき奥にいつぽんの道とほりたりわれひとり行《ゆ》く
せちに行けかし春は桜の樹下《こした》みちかなしめりともせちに行けかし
さくら花ひたすらめづる片心《かたごころ》せちに敵《かたき》をおもひつつあり
朝ざくら討たば討《う》たれむその時の臍《ほぞ》かためけりこの朝のさくら
あだかたきうらみそねみの畜生《ちくしやう》が桜花《さくら》見てありとわれに驚く
わが婢《はした》なにおもふらむ廚辺《くりやべ》の桜花《はな》の樹《こ》のもとにあちらむき停《た》てり
この朝の桜花《はな》の樹《こ》のもと小心の与作《よさく》ものつ[#「のつ」に傍点]と歩み出でたり
わが幼稚《をさな》さひたはづかしし立ち優《まさ》り咲き揃《そろ》ひたる春花《はるはな》なれや
咲きこもる桜花《はな》ふところゆ一《ひと》ひらの白刃《しろは》こぼれて夢さめにけり
わがころも夜具《やぐ》に仕換《しか》へてつつましく掻《か》い寝《いね》てけり月夜《つくよ》夜ざくら
角《つの》立ちのみじかきからに牛の角《つの》つのだち行けどふれずさくらに
いみじくも枝垂《しだ》るるさくら日《ひ》の本《もと》の良子《ながこ》女王《によわう》が素直《なほ》きおん眉《まゆ》
可愛《かあ》ゆしといふわが言の畏《かし》こけれ桜花《さくら》見ますかわが良子ひめ
新しき家居《いへゐ》の門《かど》に桜花《はな》咲けど夜《よ》を暗み提灯《ちやうちん》つけて出《い》でけり
桜花《はな》さける道は暗けど一《いつ》しんに提灯ふりて歩みけるかも
わが持てる提灯の炎《ひ》はとどかずて桜はただに闇《やみ》に真白し
いつぽんの桜すずしく野に樹《た》てりほかにいつぽんの樹もあらぬ野に
桜ばな暗夜《やみよ》に白くぼけてあり墨《すみ》一色《いつしき》の藪《やぶ》のほとりに
つぶらかにわが眼《め》を張《は》ればつぶつぶに光こまかき朝桜かも
ひんがしの家《や》の白かべに八重《やへ》ざくら淋漓《りんり》と花のかげうつしたり
さくら咲く丘のあなたの空の果て朝やけ雲の朱《しゆ》を湛《たた》へたり
わだつみの豊旗雲《とよはたぐも》のあかねいろ大和《やまと》島根《しまね》の春花《はるはな》に映《は》ゆ
ひさかたの光のどけし桜ちるここの丘辺《をかべ》を過ぐる葬列《さうれつ》
ほそほそと雫《しづく》しだるる糸ざくら西洋婦人|濡《ぬ》れてくぐるも
糸桜ほそき腕《かひな》がひしひしとわが真額《まひたへ》をむちうちにけり
わが家《いへ》の遠《とほ》つ代《よ》にひとり美しき娘ありしといふ雨夜《あまよ》夜ざくら
真玉《まだま》なす桜花《はな》のしづくに白黒のだんだら犬がぬれて停《た》ちたり
折々《をりをり》にしづくしたたる桜花《はな》のかげ女靴《めぐつ》のあとのとびと
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