ずつ鉢《はち》からわきへ取除《とりの》けておく。これを生飯《さば》と言うが、臨川寺ではこの生飯を川へ捨てる習慣になっていました。すると渡月橋上下六町の間、殺生《せっしょう》禁断になっている川中では、平常から集り棲《す》んでいた魚類が寄って来て生飯を喰《た》べます。毎日の事ですから、魚の方ですっかり[#「すっかり」に傍点]承知していて、寺の食事の鐘《かね》が鳴るともう前の淵《ふち》へ集って来て待っています。
淵の魚へ食後の生飯を持って行って投げ与《あた》える役は、沙弥《しゃみ》の昭青年でありました。年は十八。元は公卿《くげ》の出ですが、子供の時から三要の手元に引取られて、坐禅《ざぜん》学問を勉強しながら、高貴の客があるときには接待の給仕に出ます。髪《かみ》はまだ下《おろ》さないで、金襴《きんらん》、染絹《そめぎぬ》の衣、腺病質《せんびょうしつ》のたち[#「たち」に傍点]と見え、透《す》き通るばかり青白い肌《はだ》に、切り込《こ》み過ぎたかのようなはっきり[#「はっきり」に傍点]した眼鼻立《めはなだ》ち、男性的な鋭《するど》い美しさを持つ青年でした。寺へ引き取られたこども[#「こども」に
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