付からぬように」
 昭青年だとて、先にあて[#「あて」に傍点]があるわけではありませんが、差当って今の取り做《な》し方としては、これ以外に無かったのでした。あたりを見廻《みまわ》すと、幸い、苫《とま》で四方を包んだ船がある。将軍が大堰川へ船遊びの際、伴船《ともぶね》に使う屋根船で、めったに人の手に触《ふ》れません。昭青年は苫を破り分けて早百合姫をその中へ入るよう促《うなが》しました。
 姫はさほど有難《ありがた》いとも思わぬ様子でしたが、それでも嫌《いや》とは言わず、船の中へ隠れました。そして言いました。
「淋《さび》しいから食事の時以外にもなるたけ、ちょいちょい訪ねて来て下さいましね」

     二

 寺の人達の間にこんな噂が出るようになりました。
「どうもこの頃、昭沙弥は、生飯をやると言っちゃ日に五六|遍《ぺん》も、そわそわ川へ行く。あんまり鯉に馴染《なじみ》がつき過ぎて鯉に魅《み》せられたのではないか」
「その癖《くせ》、淵の鯉は、斎《とき》の鐘を聴いてもこの頃は集って来んようだ。わしは気を付けて行って見るが確かにそうだ」
「それは変だな」「変だ」「変だ」と噂し合うようになりました。それはそのはずです。せっかくの生飯も、昭青年は苫船の中の美しい姫にやってしまうので、淵の鯉は、いつも待ち呆《ぼう》けです。しまいには諦《あきら》めて鯉達は斎の鐘に集らなくなりました。噂が耳に入るほど余計に昭青年は用心します。隙《すき》を覗《うかが》い折を見ては苫船へ通います。その度に自分が貰《もら》った菓子《かし》、果物など、食べた振《ふ》りをして袖《そで》に忍ばせ、姫にそっと持って行ってやります。そうこうするうち日も移って、梅雨《つゆ》もすっかり明けた真夏の頃となりました。
 片方は十八の青年、片方は十七の乙女《おとめ》。二人は外界をみな敵にして秘密の中で出会うのです。自然と恋《こい》が芽生えて来たのも当然です。
 姫はもう何もかも考えなくなって、ひたすら昭青年の来るのを待ち侘《わ》びている。自分では、ただ頼みにする人、有難い人と思っている積りだが、心の底ではもう恋が成熟しきっている。その証拠《しょうこ》には、われ知らず、男の心を試すような我儘《わがまま》を言い出すようにもなりました。
 一方、昭青年は早く機会を見付けて何とか始末をしなくては、悟道《ごどう》の妨《さまた》げに
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