もなるし、姫のためにもよくない。刻々、そう思いながら、その気持ちに自分で自分に言いわけを拵《こしら》えて、ずるずる現状のままを持ち続けています。時には自分で腑甲斐《ふがい》無いと思えば思うほど「ええ、何もかもおしまいだ、姫と駆落《かけおち》でもしてしまおう」こんな反動的な情火がむらむらと起るので、自分ながら危なくて仕様がありません。これはいっそ、そっとこのままにしておいて時の捌《さば》きを待つよりしかたがないと、思い諦めて、楽しいようなはかないような逢瀬《おうせ》を続けています。
昼過ぎ、昭青年は姫に生飯を持って行って食べさせたあと、二人は川へ向いた苫を少し掻き分けて、対岸の景色を眺《なが》めていました。蝉時雨《せみしぐれ》は、一しきり盛《さか》りになって山の翠《みどり》も揺《ゆ》るるかと思われる喧《やか》ましさ、その上、あいにくと風がはたと途絶えてしまったので周囲を密閉した苫船の暑さは蒸されるようです。姫は汗《あせ》を袂《たもと》で拭《ぬぐ》いながら言いました。
「あたくし、久しく行水しないから、この綺麗《きれい》な水へ入って汗を流したいのよ。あたりに誰《だれ》もいませんから、あなたも一緒《いっしょ》に入って腕《うで》に掴《つかま》らしといて下さらない、怖《こわ》いから」
これは難題です。蘆《あし》の葉のそよぎにも息を殺す二人の身の上に取って、このくらい冒険《ぼうけん》はありません。見付かったら最後、二人はどんな運命になるか判らない。昭青年は戦慄《せんりつ》を覚えながら押《お》し止めました。
「馬鹿《ばか》をおっしゃい。昼日中、そんな危険な事が出来ますか。もし今夜、月が曇《くも》りだったら、闇《やみ》を幸い、ここへ来て入れてあげましょう。それまで我慢《がまん》するものです」
けれども姫は自分の云《い》い出したすがすがしい計画から誘惑《ゆうわく》され、身体《からだ》がむずがゆくなって一刻の猶予《ゆうよ》もなく河水に浸《ひた》らねば居られぬ気持ちにせき立てられるのでした。
「あたくしの言う事はどうしても聴いて頂けないの」
姫の切なげな懇願《こんがん》に昭青年は前後のわきまえ[#「わきまえ」に傍点]も無くなって「では」と言って姫を川の中へ連れて入りました。
青春は昔《むかし》も今も変りません。二人は今の青年男女が野天のプールで泳ぐように、満身に陽《ひ》を浴びな
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