て、夫狐は売り渡されたが最後、生肝《いきぎも》をとらるる由《よし》なそうにございます。
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――それは、さぞ、心痛なことであろう。だがここが肝腎なところだ。一体狐にもそういう場合に、人間と同じように愁嘆があるものか知らん。
――ご冗談|仰言《おっしゃ》っては困ります。生きとし生けるものの嘆きに人《ひと》、けだものの変りがございましょうか。
――だったら、一つ試しに詳しく聞かして呉れ給え、参考になる。そうなあ、狐には通力というものがあるそうだから、一つその嘆きを形の振りごとにして示して貰い度い。すりゃわたしたちに取っても稀代《きたい》の見聞さ。
――拙《つたな》い手振り、恥しながら、夫の身のため……。
――二見氏、その酒筒を出せ、この床几《しょうぎ》に腰かけて一ぱいやりながら、見物しよう。
――ばかばかしい。それこそわざと狐に化かされることの深味へ嵌《は》めて呉れと注文するようなものだ。気がついて見れば、あしたの朝は小川の行水にでもつかっているぞ。
――まあ任して置け、こっちへ来い。
――では……。

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女、唄い乍《なが》ら舞う

唄※[#歌記号、1−3−28]
元《もと》よりこの身は畜生の。人にはあらぬ悲しさの。添うに添われぬ夫婦の道よ。迷ぞ深き身の上の。思いの種とやなりやせん。いとど心はうば玉の夜の寝伏《ねぶ》しの手枕や手枕や
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――やんややんや、この頃市村座でやっている「振袖|信田《しのだ》妻」二番目の所作唄だな。
――いくら化されぬよう要心していても、只今の踊りにはついうっとり見惚《みと》れてしまった。
――女狐さん、まあ、こっちへ来て一ぱいやらぬか。
――有難うございますが、夫の身の上案じられて、ささ[#「ささ」に傍点]も喉《のど》へは通り兼ねます。
――そりゃそうなくてはならぬ筈じゃ、気の毒なことじゃ、身共たちに頼みとは、その男狐を助ける助太刀でもしろと望まるるか。
――義侠のお侍さまと見込んで、お情に縋《すが》ります。どうか、その男狐を七蔵がところへ行き、十両の身代金をお払い下さいまして、籠《かご》からお放ち下さいませ。
――十金か、こりゃ大金だ。なあ、鈴懸氏。
――浪人の身の上では、そうとう荷
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