今、山道で久しぶりに慶四郎の傍にいて、何か易々とした安心にゆるんで来て千歳は子供のときのように、うっかり慶四郎にもたれかかったりするのであった。
慶四郎は、その千歳をいとしそうに労《いたわ》りながら、
「疲れたのかい。もう少しの辛棒」
青葉の包みをほぐした中に在るように、須雲村が目の前に現れて来た。燻《くす》んで落付いた藁屋《わらや》が両側に並んでいる。村の真中の道に沿うて須雲川から下りた一筋の流れが走っている。覗くと水隈だけ見えて、水は眼にとまらぬ程きれいに底の玉石へ透き徹っていた。谷畑から採って来た鮮かな山葵《わさび》の束が縁につけてあるのがくんくん匂う。
「いいとこね。まるで古い油絵を剥《はが》してもって来たようね」
「気に入ったかい、まあ、ここにかけ給え」
慶四郎は温泉宿の祝儀手拭を取出して敷いた。千歳はそれに自分のハンケチを重ね、その上へ坐った。
慶四郎は無造作に傍の石に腰かけてしばらく莨《たばこ》を喫っていたが、やがて、しっとりとした声で言った。
「僕はこの前、ひとりでここへ来たとき、一つの夢を思い付いたのだ」
夢という言葉は慶四郎の口癖で楽人仲間では有名で
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