へも頭を向けるようになった。慶四郎には独創に逸《はや》る若い芸術家にままある剛腹の振舞いが多くなった。それと一つは嫉《ねた》みもあって、同業の激しい排斥が起った。師自身も我慢仕切れず、内心愛惜の情に堪えない気持がありながらもとうとう表面上、この愛弟子を破門してしまった。
「破門されたため湯治が出来るなんて、仕合せな破門じゃないの」
「そうでもない。やっぱり、東京の演奏会の燭光はなつかしいものだ」
 千歳の胸に、かつて、邦楽革新の新進作曲家として華やかしい期待を持たれていた慶四郎と、日蔭ものになって温泉場稼ぎをしている今の慶四郎とが比較された。気の毒だと思う一方、多少の小気味よさをも感じる。
 山が高まって来て、明るく晴れたままで、うす霧が千歳の肩や頬に触れて冷え冷えとする。行く手の峰を越して見え出した双子山は絹のような雲が纏《まと》いつき、しばらくしてまたきれいに解け去り萌黄《もえぎ》色の山肌が青空からくっきり刻み出されている。谷底に横わる尾根の、翠《みどり》滴《したた》る大竹籔に老鶯《ろうおう》が鳴いている。
「あすこに白く細くちらりと見えるだろ。あれが躄《いざり》勝五郎の物語で有名
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