き子へ
ゆき子。山からの手紙ありがとう。蜜月《ハネムーン》の旅のやさしい夫にいたわられながら霧の高原地で暮すなんて大甘の通俗小説そのままじゃないか。たいがい満足していい筈だよ。今更、私をなつかしがるなんて手はないよ。第一誤解されてもつまらないし、人によっては同性愛なんてけち[#「けち」に傍点]をつけまいものでもなし――結婚したら年始状以外に私へ文通するでは無いと、結婚前にあれほどくどく言ったじゃないか。それにもうよこすなんてこの手紙の初めについお礼を一筆書いては仕舞ったようなものの私はおこるよ。
改めて言うまでもなく、あなたを嘗《かつ》て私の傍に、すこしの間置いといてやったのは、あなたの親達から頼まれたからであるけれど、私があなたを一目見て、あんまりあなたが貧弱なのに義憤を感じたからさ。なぜと言って、あなたの身体は紙縒《こより》のようによじれていたし、ものを言うにも一口毎に息を切らしながら「おねえさま、あたくしこれで恋が出来ましょうか」と心配そうにいってたじゃないか。私は歯痒《はがゆ》くて堪《たま》らなくなって私の健康さを見せびらかし、私の強いいのち[#「いのち」に傍点]の力をいろいろの言葉にしてあなたの耳から吹き込んでやった。そのせいか、あなたはだんだん元気になり、恋愛から結婚へ――とうとう一人前の女になった。
あなたは一人前の女になった。私は同じ女性として助力の義務を尽した。もうそれで好い、それ以上私はあなたに望まれ度くない。
あなたは私が都に一人ぽっち残ってさぞ寂しかろうと同情する。よしてお呉れ、私は人から同情を寄せられるのは嫌いだ。寂しいことの好きなのは私の性分だ。けれども断って置きますが、私の好きなのは豪華な寂しさだ。
私は好んで私を愛する環境から離れて居たがる。一人、私は自分の体を抱く、張り切る力で仕事のことを考える。自分の価値につくづくうたれる。だがこれは病理学でいう「自己陶酔症《ナルチスムス》」などいう病的なものではないよ。自分の生命力を現実的にはっきり意識しながら好んで自分を孤独に置く――この孤独は豪華なぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]なものなのだよ。もう判ったか、ゆき子。判ったらもう私をなつかしがる手紙など書くな、お前の良人《おっと》に没頭するのだ。
底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月
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